「陰キャ」のオキテを七つ考えてみました

「陰キャ」の七つのオキテです。

というよりも、これは「陰キャ」だけの話ではないと思いますけど。

いや、オクテなのは「陰キャ」だよねとも思いますけど。違うか。

それでは、いきます。

自分以外の誰かの立場を常に意識する

まずはここからです。

もちろん、話しをしている時は話し相手のことを考えます。

声が小さいのを自分の自信がないから仕方がない、とか思わないでください。

できるだけ相手が聞き取りやすい声の大きさやスピードを心掛けましょう。

また、商品を開発するとかどこかの会社に投資をするとか、これらは常にお客さんの立場を考えなければ成功しません。

自分をより大きくみせようとしない、思わない

自分をより大きくより良い人に見せたい他人にそう思われて慕われたい尊敬されたい……そういう気持ちが強ければ強いほど、挙動不審になってしまいがちです。

ちなみに一見「陽キャ」でも、この感情に囚われ過ぎて「人の話を聞かない、覚えていない」「出しゃばり」などと言われ、実は嫌われているという人もいます。

このことと表裏一体の、次のこともまた大事です。

自分に自信を持ち、自己肯定感を高くしよう

まず自己肯定感が低くなると、それを補おうとして結果的に自己顕示欲が高くなることがあり、それが上記1番の行動に繋がる人もいます。

同様にその自己顕示欲が買い物に向かうと、高級品やブランド物の力を借りようとするか、あるいはそこの店員さんにちやほやされたいという気持ちになり、浪費に走る人もいます。

あるいは、低い自己肯定感を誤魔化そうとして、自分より「陰キャ」の人を探して貶める(と、その分自分はましだと思える)ようなことをする人もいます。

これらの問題は自分に自信を持ち、自己肯定感を高くすることで解消されます。

ほどほどに良い人でかつ良き聞き役を目指そう

自分が主役になろうとせず、相手を立てて聞き役に徹してより多くの情報を得られるように心掛けましょう。

(その時の会話で注意することを書いてみました。ご興味ある方はこちら

今は「これからはビッグデータが重要になる」と言われるほどの時代です。

データは人にはわからず優秀なAIしか解析できないものですが、情報ならば人でも分析ができます。

というわけで、とにもかくにも情報は大事なものです。

単独では些細な情報でも、組み合わせると大きな意味を持つとかすごい発見があるとか、そういう可能性もあります。

雑用の仕事やそれに携わる人をバカにしない

先ほどと同じ理由です。

お茶くみなどバカにする人が多い雑用的な仕事でも、そこで重要な情報が得られることもあります。

また、そういう仕事をしている人をバカにしているとその立場の人に嫌われ、その人からの情報が入らなくなります。

さらに、そういう人で皆から好かれて人脈のある人はいるので、その人に嫌われたことで職場で孤立してしまうこともあります。

得られた情報は控えてまとめて考えて書き出す

俗に言う、「情報の取捨選択」に「インプットとアウトプット」です。

この持ち帰った情報を分析してまとめて出力することが大事です。

出力先はブログがおすすめですが、どうしてもできない場合は個人的な日記などでも良いので、やっておきましょう。

また、一見要らない情報でも後になって役立つこともあります。

それらの管理にも注意が必要ですが、情報をもらった先様にも感謝を忘れないようにしましょう。

現在よりも未来のことを常に意識する

現在も大事ですが未来のことも大事です。

ですが今の人は皆、現在のことはあえて意識せずともある程度のことが考えられるようになっていると思います。

「今よりも先」にどうなるかということを考えるのは大事なことですが、実は多くの日本人がこれを苦手としています。

苦手どころか、これができていないことすらわかっていない、という人もたまにいます。

オキテは以上です。ここを読んで頂いた皆さんが、より幸せになりますように。

nendのオーバーレイ広告を入れてみました

本日は広告を入れてみました。

nend(ネンド)様のオーバーレイ広告(スマートフォンのみで表示されるタイプ)です。

ロゴの画像は上記公式Webサイトで頂きました。

nend様には、今まで一度もお世話になったことがなかったのですが。

審査も比較的通りやすい上に自由度も高い、というネット上の評判を拝読致しまして。

一度お願いしてみることにしました。

何と言うか、自由に書きたいものを書けるようにしておきたいなと思いましたので。

ここでは思ったことを素直に書いていこうと思っています。

広告のことや投資した会社の話など、夫と二人で書いている本サイトでは遠慮して書けない話題にも触れていこうかなぁーと。

広告の話では、例えば宣伝のためにココナラ様などの業者様にもお世話になろうかな、とか考えています。

(上記、夫には少し話したのですが、ネット上ではあんまり良い結果を得られなかった方もおられるので、良い顔をしなかったんですねー)

あと、投資した会社について夫は「どんなに自己責任でと警告しても、私らと同じ銘柄を買って大損をした人が出たら申し訳ない」と言って、詳しく書くことに反対しています。

確かにそれはそうなんだけど、東証一部の大きくて大丈夫そうな会社だったら良いのではないかと私は思ったのですが。

……それってやっぱ、甘いですかね?

まぁどうなるかはわからないですし、それ以前に最初は全然お金にもならないと思いますけどね。

何せ、本サイトでは書けないこともここでは書けるという自由が、今は何よりも嬉しく思っております。

あ、でも、以下の本サイトもがんばっております。

5千円からはじめる節約&投資で1億円へ

こちらもどうぞよろしくお願い致します。

突然「虚数」の存在する意味がわかったような気がした今朝の話

えーとですね、我が家では風呂は朝に入る習慣がありまして。

ちなみに毎朝5時起きで就寝は9時です。早ぇーよ。

今回は風呂に入っている時に突然思い出した話です。

高校の時、私は文系を選択しました。

が、当時は国立大学を受験する際の一次試験に数学があったため、文系でも数学をそこそこのところまでは勉強させられしていました。

確か基礎解析だったと思うのですが、そこで虚数「i」というものが出てきました。

2乗しても負の数字になる時に使用するヤツです。

あれ、現実にはない理論上で必要なものですけど、それを習った時に私は思いました。

「現実にはない上に理系に進まない私には、受験以外何の関係もないやないか!」

そこでさらにやる気をなくした私の数学の成績は、さらに酷いものとなりました。

一応地元の国立大学にも受かりましたが、結局は私立のとある大学に進学し、挙げ句の果てに中途退学してフリーターへの道を歩みましたので、本当に何の関係もない上に何の役にも立たなかったし、もしかしたら高校数学自体時間のムダだったかもしれないとずっと思っていました。

何故かそのことを今朝風呂場で思い出して、最初は

「あの数学の授業自体が、私にとっては虚数になってもーたなぁー。

“虚無な数学”略して“虚数”……って先生に申し訳なさすぎるやん」

ところが、そこでふと思ったのです。

「インターネットによる仮想空間て、この虚数みたいなものではないか?」

私が高校の時にはインターネットはまだ存在していません。

その時から月日が経って世の中が進歩して、見ず知らずの人が集う掲示板やチャットのような場所ができました。

ただしその場所は、現実にあるお店とかで直接皆が集まっているという状態ではありません。

自分には何も関係がないとあの時の私は思いましたが、時間が経てばそうでなくなることもあるのだなと。

同じような気持ちになった人が居ないかと思って検索してみましたら。

そんなヤツおれへん状態でしたが、代わりに「アタリマエ!」というWebサイトの以下の記事を見つけました。

虚数とは何か?複素数とは何か?が一気に分かりやすくなる記事

上記リンク先は「東西に移動する時を正負の実数で表すと、南北に移動する時に虚数を使うとわかりやすい」という例を挙げておられます。

いやー、実にわかりやすいですねぇー。

やっぱ、頭の良い人はすごいなぁー。

何かすごい得した気分で嬉しくなりました。

情報の取捨選択の、その前に

俗に「インプット・アウトプット」は非常に大事だと言われていますが、インターネットであまりにもたくさんの情報を得られるようになった現在では、必要な情報とそうでない情報が混在してワケがわからないという状態になってしまいがちです。

一昔前では情報そのものが少ないだけでなく、その情報に辿り着ける人がごく少数の限られた人だけという状態でした。

その頃から比べると「何と言う贅沢な悩みなのか?」という気がしないでもないですけども。

実際の話、それが全くわからないというのも辛い話ではありますね。

いや、全くわからないっていうのは本当に辛い話です。どれもこれも皆。

生き方がわからないことに悩んで、それを苦に命を絶つ人もいますから。

今回は「全く何もわからない状態から、ぼんやりと方向だけはわかった」という状態になって頂けると嬉しいなと思い、書いてみました。

情報の取捨選択のためにまず必要なこと

情報と言えば、今ではインターネットからありとあらゆる情報を得ることができるようになりましたが。

ただしその情報は玉石混交であり、嘘の情報や嘘ではないけど限りなく嘘に近い大袈裟過ぎる情報などが多数含まれています。

理由としてはやはり、インターネットは匿名で利用できるということが大きいですね。

面と向かって遣り取りする情報の場合だと、誰しも「嘘つきな人とは思われたくない」という心理が働きますから。

しかし何も悪いことだけではなく、中には匿名だからこそ書ける情報というものもありますから、要は使い方次第という話ではあります。

というわけで、情報の取捨選択のためにまず必要なこととは

  • インターネットのみに頼り過ぎない

ではないかと思います。

諺の「聞いて極楽見て地獄」ではないですけど、現実を見ると一発で嘘とわかるようなことも中にはあるでしょう。

私個人的には、ネットよりも現実で得られる情報の方が得られにくいという意味では貴重ですから、できるだけ捨てない方向で考えるようにしています。

もちろんネットでも「ちょっと捨てるには惜しい」と感じたら、とりあえずメモっておくようにはしていますけども。

ということで、現実で得られる情報も重視するということになりますが、そこで非常に大事なことが浮上します。

「陰キャ」でも「陽キャ」でも共通の大事なことは?

ここからの話は「陰キャ」「陽キャ」問わず大事なことです。

それは、情報をたくさん集めるためには

  • ほどほどに好かれている状態

が、最も良いということです。

「この人とは話しをしたくない」と思われるのは論外ですが、普通に話せる状態よりもちょっと好感を持たれて話が弾む、ぐらいがベストです。

何故ならば、あまりに好意を持たれている状態だと「この人のことをもっと知りたい」と思われてしまい、相手からの質問が多くなってしまうからです。

時間が経ってそのような状態に至ることは好ましいことでありますけど、そこまでたどり着くことを最初から目標とすることはありません。

「陰キャ」が失敗するのはここだ!

実は「陰キャ」が「陽転」するのも、あるいは「陰キャ」の良い点を活かすのも、共通で失敗してしまう理由の一つがこの点です。

個人的には、一番多い理由ではないかなと疑っています。

つまり、何で失敗するのかのその理由とは

  • 自分を相手に良く見せようとし過ぎる

ためではないかと。

それで話しかける時に過度に緊張して、どもったり挙動不審になったりしてしまうのです。

そういう時には「リラックスしてー」みたいな、一般的なアドバイスを言う人が多いと思うのですが。

実際には「リ、リ、リラックスしなければー」とかなってしまって、全然役に立たないんですよねぇー。こんなアドバイスは。

そもそもこんなん言うヤツ「陰キャ」ちゃうやろ!っちゅーねん。

えーと、それはさておき。

根っからの「陰キャ」な私のおすすめは

  • できるだけ情報をもらうこと

これを第一の目標にすることです。

そして同時に「私はどう思われても良い。嫌われさえしなければ良い」と思うわけです。

もちろんできるだけ相手に気持ちよく喋ってもらうために、言葉遣いや態度などにできるだけ気を付けるのは大事ですけど、過度に飾り立てる必要はありません。

そしてもらった情報は、些細と思えることであっても

  • 決して忘れないこと

です。

そして次回の会話にそれを活かしましょう。

そしてそこから先の情報を得られる努力をしましょう。

そこで前の話を忘れていて相手が腹を立て、そこから先の情報が得られなくことがありますので。

それともう一つ、それが単独では些細と思える情報だったとしても、別の情報と組み合わせることでその情報が活きてくることがあります。

せっかく得られた情報は大切にしてください。

お茶汲みなど雑用の仕事をバカにしない

最後になりましたが、もう少しだけ。

お茶汲みなど雑用の仕事をしている人やその仕事そのものをバカにする人がたまーにいますけど、あれははっきり言って時代遅れの行為です。

もちろん「人」をバカにした場合は、その「人」から嫌われて情報を得られなくなりますが。

「仕事」をバカにした場合でも、その仕事をしている「人」がそれを聞いたら良い気持ちはしませんよね。

それともう一つ、お茶汲みなどの「仕事」からでも得られる情報はあります。

汲んだお茶を机に置く際に、その人の机の上に写真などが飾られている場合があります。

また、その時のその人が話しかけてくる場合もあります。

(↑こちらから話しかけてお仕事の邪魔をしないように気を付けてくださいね)

そうやって意外なところで得られる情報が、後からお金に変わることがあります。

(一例として、本サイト『非正規雇用で派遣だと「貧すれば鈍する」になりがち。気をつけよう!(お、お互いに)』もご覧ください)

些細なことは情報でも仕事でも、何でも大事にすることをおすすめします。

世帯で1億⇒私個人で2000万円になる理由の詳細

実はこの話については、本サイトで既に書いていました。

前書き)独身で非正規雇用でも資産2000万円ぐらいならイケます。ななおすすめの方法

なお、上記の前書き以外の記事はこちらになります。よろしくお願い致します。

上記のリンク先で書いたことは、要するに「独身で非正規でしかも子供がいないと、より大きなリスクを取れる立場にある」ということでした。

ついでに言えば、住宅ローンも背負わなくてすみますし。

……いや、背負われへんけど。

というわけで「世帯で1億が目標だけど、私だけ(独身の場合)でも2000万円はイケる」という理由は「より大きなリスクが取れる」ことと、「住宅ローンの負債がない」ことがその理由でした。

これ、ものすごい有利な話なんですよ?!

どれくらい有利かと言うと、労働が苦手で仕事ができずそれ故に非正規でついでに「陰キャ」(´;ω;`)でも大丈夫、てなぐらいです。

それぐらいに、この「リスクが取れる」ことは、今の時代は非常に有利なことでかつ大事なことです。

どれくらい大事かと言いますと、それは個人だけの話ではなくて企業にも当てはまるぐらいの本質的なことだからです。

一例と致しましては、本サイトの以下の記事をご覧ください。

出会いは不純な動機から、だけど会えて良かった。勉強になりました

株主優待目当てで投資したオリックス株式会社でしたが、優待品を選ぶカタログ冊子に宮内義彦シニア・チェアマンの話が掲載されておりまして、それを読んだ私は後に非常に感動致すことになりました。

「今や日本の会社のほとんどがコストカットやリストラなど内向きの手法を取っているが、これは非常に良くないことだ」

「もっと積極的にリスクを取っていかないと」

との内容のことを仰っていたのです。

今の時代ようなだからこそ、リスクを取ることが必要なのです。企業も個人も。

何故なら、もはや今となっては物やサービスが十分に満たされている状態にあります。

そこからさらに「今までにはない良いもの」を生み出すか、または「今までにあるものだが非常に良くなったもの」を出すか、いずれかをしなければならないのですから。

リスクを取って挑戦しないことには、そのようなものは生まれません。

労働での能力が低いために、労働ではそれらの行為に携われない私の場合。

そういった積極的にリスクを取ってがんばっている会社に投資することで、世の中に貢献することができるのです。

そしてその対価として受け取る報酬が「投資した資産が増える」ということになります。

傷付いてしばらく立ち上がれない人へ

長くなりますが、お読み頂けると嬉しいです。

世の中には「波」というものが存在します。

その「波=(サイクル)」というものはありとあらゆるものにありまして、それは大自然の理(ことわり)というものです。

その「ありとあらゆるもの」の中には、もちろん「人生」も含まれます。

ちなみに小さい例を一つ挙げますと、投資や投機にも「波=(サイクル)」があります。

詳細が気になる方は以下の記事をご覧ください。

非正社員で時間を取られても運用益を得たい方へ。変形インデックス投信他

小っさい話で恐縮ですが、私の持っているサイクルは投資の場合でもかなり大きなもので、すぐにリターンを得られないものの方が向いていることがわかりました。

それは「すぐにリターンを得られるサイクルの小さいもので散々失敗した」から、わかったことです。

人によっては逆に、小さいサイクルを繰り返すことで資産を増やしていくタイプの人もいると思います。

「自分に合うサイクルの投資法を見つける」ということも、資産を増やす上で大切なことだと私は思います。

合う合わないは人それぞれです。

財産を運用する方法一つとってみても、そういうサイクルが合う合わないが存在します。

人生も同じです。

傷付いてしばらく立ち上がれない人へ。

傷付いた理由もそれぞれで、タイトル通り立ち上がれないのはしばらくの間である人もいれば、不登校やいじめなどがきっかけで長期化しているという人もいるでしょう。

人生にも「波=(サイクル)」があると先ほど書きましたが、それをもっと詳しく言いますと「雌伏の時」と「雄飛の時」となります。

そして大事なのは「雄飛の時」ではなく、むしろ「雌伏の時」なのです。

「雌伏の時」にできることは何か?

その中で、むしろまずやらなければならないことは何なのか?

あるいは逆に。

自分以外の他人がやらなければならないと言っているものの中に、実はやらなくても良いことは含まれていないか?

または、むしろやってはならないことは含まれていないか?

世の中の人は二種類に分かれます。自分自身とそれ以外の他人に。

自慢じゃないが、私は人一倍怠惰な人間です。

怠惰であることを私の親は憂い、親心から矯正しようとしました。

怠惰であることは私の親でなくとも、万人が万人欠点だと思い、愛情ある人はそれを矯正しようとするでしょうね。

ま、ありがたいことだとは思います。

でも、私にとっては、実はありがた迷惑でした。結果的には。

私は誰よりも怠惰で体を動かすのを嫌がった、だから仕方なく頭を動かすことにしたのです。

今は、記事を書くためや投資のために考えたり調べたり、そういうことが楽しくて仕方ありません。

また、そのことでお金も入ってくるようになりました。あんま大したことないけど。

労働者として働くことは目的ではない、手段です。非常に有効な。

でも、多くの人はそれを目的だと勘違いしています。あまりにそれが有効なものだからです。

しかし有効の度合いは人それぞれで、私も労働者の一人として働いていますけど、勤務時間は以前より非常に少なくなっています。

それは私が「労働」は「投資のための情報と元手を増やすため」の「手段」と考えているからです(でも、仕事は真面目にやってます)。

というわけで、結論ですが。

たとえ誰よりもあなたを愛してくれている親御さんであっても、もたらされた情報はあなたにとっては正しくないものかもしれません。

また概ね正しい場合でも、あなた独自でカスタマイズする部分が必要なものかもしれません。

傷付いてしばらく立ち上がれない人へ。

悩むのをやめて、焦るのもやめて、自分や誰かを責めるのもやめて。

僅かな時間だけで良いのです、何かを考えている間だけで良いですから。

何故なら、そういった感情で頭がいっぱいになっている時は何一つ考えることができませんので。

頭をフル稼働できる状態にしてから「今、できることは何か。なすべきことは何か」を考えましょう。

そして、考え付いたことを始めてみましょう。

とりあえず今は、ネットの環境さえあれば、勉強はできますよ?

その他、あなたが思い付いたものがあればどうぞ、それをやってみてくださいね。

(ちなみに、親御さんにも読んで頂きたいと思って書いた記事が以下です。

就職活動をがんばっている皆様とその親御様へ、私からお伝えしたいことがあります』(本サイト)

もしご興味があれば、こちらもよろしくお願い致します)

今は「人生における幸せの価値観」ですら「分散化」しているという時代です

タイトルに書いたことですが、人生における幸せの価値観が分散化しているということは、要するに「幸せは人それぞれ」ってことです。

それをちょっと勿体ぶって書いてみました(*^^*)

とはいえ「分散化」という用語は、今の時代を考える上での結構大事なキーワードでもあります。

「分散化」が何故大事なキーワードになるのか、気になる方は本サイトの以下の記事もよろしくお願い致します。

インターネットは分散化の起源か元祖か、あるいは本家か家元か?

真の情報リテラシーとは何なのか? あの時、気付くことができれば今頃は・・・・・・

上記リンク先ですが、要するに「インターネットがもたらした「分散化」にいち早く気付いていれば億万長者になれたのに残念」て話ですけど、今からでもちゃんと勉強すればそれに近いチャンスをものにすることができます(だから一緒に勉強しましょ!)。

職場で出会った「陽キャ」なBさん

私はかなり早くから自身が「陰キャ」であることを気付いていましたが、当初はそれを隠すことで対応しようとしていました。

しかしそれでは根本的な問題の解決にはならないと思い、がんばって「陽キャ」に転向しようと決意しました。

この辺りの話は、以前に『私が陰キャの生き方を決意するまで。その経緯』でも書かせて頂いていました。

その「陽キャ」になろうとがんばっていた時、同じ職場に「陽キャ」の友達ができました。

(以前の前編後編に分けて書いた「Aさん」とは別の人です)

ここでは名前を仮にBさんとします。

Bさんと出会った職場はある飲食店でした。

とある大手のチェーン店で私はキッチン、Bさんはホール係でした。

人と話すのが大好きな明るい性格で友達も多く、ダンスが趣味でスポーツが大好きといういかにも「陽キャ」で魅力的な女性でした。

身体を動かすのが好きな女性だけあって、体の線も引き締まっていてキレイでした。

上記Aさんのモデル体型とはまた違う種類の、健康的ではつらつとした美しさでした。

Bさんのような「陽キャ」になるためには?

Bさんのような「陽キャ」になりたいと思った私は、Bさんにいろいろ聞いてみました。

Bさんに聞いた、ストレスなどに悩んだ時のアドバイスは以下です。

  1. まずは悩む原因を解決させるか、軽減させるなどに努める
  2. その後は体を動かすとか、服などの買い物を楽しむなどして忘れる
  3. そうならないように、日頃からストレスなどをためないように心掛ける

ふむふむ、そーなんだー。

で、日頃からストレスをためないようにするには?

B「そうねー。例えば、出勤するのにちょっと余裕を持って身支度するとか」

B「何着て行こうかなーて考えながら、一人ファッションショーをやるとか。楽しいよ」

私「ああ、Bちゃん体型きれいだもんね」

B「そんなことないよ。ななちゃんだって可愛いじゃん。あ、気になるのだったら、私がいつも着ている補正下着を着てみない?」

B「それとあと服飾関係の友達がいて、彼女から買うと可愛い服が卸値で安く買えるから紹介するね?」

私「あ、あ……あの……あ、ありがとう」

というわけで、高価な補正下着と服を買うことになってしまったわけですが。

これはですね、何も商売でやったのではなく、Bさんもその下着と服を着用していたわけですよ。

服の方は当時のブティックや百貨店に置いていたようなもので、確かに正規で買うよりはかなり安くしてもらっていたけど、それでも結構お高めのお品でございました。

で、ある日、お金が厳しいと私が言うとBさんは

「だったらお店のシフトいっぱい入っ(ていっぱい働い)たら?」

て答えるわけですよ。

で、Bさんは本当にそうやって対応していました。

Bさんは元々身体を動かすのが好きだから、そういうのは苦にならないんですよね。

今、この年齢になって思うこと

ここで書きたかったのは、人にはそれぞれの「幸せ」があるということです。

そもそも私は服がそんなに好きではないので、一人ファッションショーをやることは思い付きませんでした。

それどころか出勤前に服を選ぶことは私にとっては単なる苦痛であり、かつそれ自体がストレス要因になってしまうという状態でした。

ある人にとって「幸せ」な行為が、またある人にとっては「苦痛」でしかないという。

そして私は、Bさんには悪いことをしました。

あの時きちんとお断りをすれば良かっただけなのですが、当時の私にはできませんでした。

断るとBさんに嫌われると思ったのがその理由ですが、実際にそのようにしたら受け入れてくれていたかもしれません。

それにもしBさんがそれを受け入れず腹を立てるような人だったら、それがわかった時に友達としてのお付き合いをやめたら良かったのです。

結果から言えばこのことが遠因となって、Bさんとのお付き合いが途絶えました。

それまでにいろいろあったのですが、詳細を書くと長くなるのでそれについては後日とします。

私が陰キャの生き方を決意するまで。その経緯

人生の目的は「幸せに生きること」ですが、その「幸せ」は人それぞれです。

もっと言えば「幸せ」かどうかは、その本人しか判断できないことです。

私は現在「陰キャ」として生きることを選択したおりますが、それまでの経緯をここに書いておこうと思います。

その一、最初は「陰キャ」は嫌だった

以前書いた『陰キャ陽キャでひたすら陽キャを求める今の学生さんって、私の頃と変わっていない?!』でも少し触れたことですが。

私が学生の頃はまだ「陰キャ」「陽キャ」という呼び方はありませんでした。

それに該当するのが「根暗(ネクラ)」「根明(ネアカ)」であり、意味は今の「陰キャ」「陽キャ」と同じです。

やっぱり今と同じように「根明(ネアカ)」が喜ばれて「根暗(ネクラ)」は忌み嫌われていましたね。

ここでは面倒くさいので「陰キャ」「陽キャ」で統一します。

そんな中、どうやら私は「陰キャ」らしいということに気付きます。多分、小学校高学年ぐらいの頃。

その理由は、同級生が面白いとか楽しいと思っていることがよくわからないなど、そういったことが頻発したからでした。

何と言うか、すぐに裏を読もうとして素直に楽しもうとしないんですね。あー性格ひん曲がっとるなぁー。

当初は「まーしょうがないかぁー。表面上だけ合わしとこーかぁー」て感じで流して誤魔化していたのですが。

ある時「何か私だけ人生楽しめていないような気がするなー。これはまずい、何とかしなければ」と、ふと思うようになりました。

そして、一念発起して「陽キャ」になることを決意しました。

その二、がんばって「陽キャ」になってみた

その当時も今も「陰キャ」と思われたら良いことはありません。

それまでの私は「陰キャ」がばれないようにしようという方針だったのですが、それでは根本的な解決にならないと思い「陽キャ」な性格になろうと決意したわけです。

しかし具体的にどうしたら良いのかはよくわからないので、とりあえず「陽キャ」な友達にいろいろ話を聞いてみることから始めました。

この頃は多分、二十歳前ぐらいだったと思います。

当時大学を辞めてフリーターになったこともあって、それを機に「一気に変わろう」と思いました。

って言うても、最初は仲良くなったバイト先の友達とできるだけ飲みに行くようにするとか、そんなところからでしたけど。

それは「陰キャ(実は仮面陽キャ)」だった以前からあんまし変わっていませんで、大学辞めたから頻度が増えたかなぁーぐらいで。

しかしまぁ、それでもやろうと思えばできるもんです。

私は能力も根性もなかったので、仕事はすぐに嫌になってコロコロ変わっておりましたが。

そこで仲良くなった友達とは仕事を辞めても付き合いがあったので、仕事の変わり目に一週間ぐらい間が空いた時に、毎日違う友達と飲みに行っていたということもありました。

ここから具体的に「陽キャ」な生活とは何だろうって考えて、当時の「陽キャ」の友達のアドバイスを取り入れてやってみたのですが、何かが違うと思ってしまいました。

その時の話の詳細は、以下の記事をご覧ください。

今は「人生における幸せの価値観」ですら「分散化」しているという時代です

その三、「陽キャ」への憧れが薄れた日

この後もしばらくは「陽キャ」をがんばっていたのですが。

そんな時、真の「陽キャ」であるAさんと出会いました。

Aさんは天然の真の「陽キャ」で、美しい容貌と社交性やコミュニケーション能力など誰もが羨むあらゆる美点を持っていました。

しかしそれ故に、天然の真の「陽キャ」特有の欠点も持ち合わせていました。

私はその欠点を見て、それまで憧れていた上になりたかった「陽キャ」への魅力をあまり感じなくなりました。

そして同時に、それまでのようにがんばろうとする意欲もなくなったわけです。

Aさんがどんな人だったのかの詳細については、以下の記事をご覧ください。

前編)真の「陽キャ」な彼女に出会ってわかった、諺の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

後編)真の「陽キャ」な彼女に出会ってわかった、諺の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

というわけで、もう「陽キャ」になろうとするのはやめようと決意しました。

そして「陰キャ」で生きて行く決意を固め、その方法を探り出してバリバリ「陰キャ」のおばはんとなって、現在に至っております。

私は引き寄せの法則を信じていませんが、結果は同じようなものかも?

今回の話は「あんま関係ない」どころではなく「全然関係ない」話です。

タイトルにも書きましたが、私は「引き寄せの法則」を信じてはいません。

しかし何か成したいことができたとするならば、まずはそれを思考するところから始めなければなりません。

というわけで、その結果として起こることはほぼ同じものであるような気がします。

「こんなに成功するなんて、思ってもみませんでした」

と、成功してから仰る方がおられますけど、そんなことはないと思います。

本当に成功すると思っていなかった場合は、成功した後の環境の変化に戸惑ってついていけないということが起るはずですから。

文豪・吉川英治の最初の妻やすは、そのような成功した後の変化についていけなかった人でした。

やすは吉川英治が売れるまでは非常によく尽くしていたできた奥様でしたが、売れた後のあまりにも変わってしまった環境の違いについていくことができず、その後の彼の創作活動に協力することができませんでした。

また、吉川英治が浮気をしたこともあって、結局は離婚してしまいます。

率直に申し上げて、実はやすは吉川英治が売れなくても良かったと考えていたのではないかと私は思いました。

吉川英治に尽くして経済的にも支えて感謝されているという、その状態そのものが実は結構幸せだったのではないでしょうか?

(ここで「幸せって何だろう?」という疑問が出てきますけれども。

作家として成功して「お金持ち」になることは、普通は「幸せ」なことのはずですよね。

必ずしもそれが「=」にならないとすれば、どちらかを選ばなければならないのでしょうか?

この辺りの話にご興味がある方は、本サイトの以下の記事

お金持ちになるか、幸せな人になるか。お金持ちになる方の考えとは?

どちらを選ぶか。お金持ちな人と幸せな人はあんまり一致していない???

をご覧ください。よろしくお願い致しますm(_ _)m)

夫が作家として大成功したのは良いですが、その大作家の妻に求められる資質というものは以前とは変わってしまいますよね。

実は尽くして支えている状態が辛くて、もしも売れたらこんな生活が待っていて、だからもうちょっと辛抱しよう……とか、そういうことを考えて居たら、その時に売れた後のこともいろいろ考えていると思うのです。

ただしこの場合は、支えている状態が辛くて耐えられずその時点で離婚、ということもあり得ますけども。

というわけで、最初の話に戻ります。

ある人が「引き寄せの法則」と呼んでいるほぼ同じような意味で、ある人は「思考は現実化する」と呼んでいる人もいます。

結局は表現が違うだけなんですよね。

私は「引き寄せの法則」というふんわりした表現があんまり好きではないという、ただそれだけの話だったりします。

逆に「引き寄せの法則」という柔らかい表現を好む人は、私のような理屈っぽい文章は好みではないような気がします。

そういうのは好みの問題で、同じようなことを言っているのだから、もう良いではないですかと。

いずれにせよ、ちゃんと考えないと成功しないし、もしも成功してもそれについていけず維持していくことができなくなりますよと。

ここにこうやって書きながら、自分に言い聞かせている今日この頃です。

まずは、思考するところからはじめましょうか。

最初はちょっとずつで良いので、一歩一歩。着実に。

焦っても何の解決にもならないし、しんどい思いをするだけですから。

ちょっとずつでも、一歩一歩。前向きに。

今はもう間違いとなった常識もあるのに、その常識と違っていると叩かれます

今回はこのブログの内容とは直接関係のない話ですが、皆さんには是非知っていてもらいたい大切なことで、ここだけでも読んで欲しいと思うそんな内容です。

今の世の中はテクノロジーが進み過ぎて時代の流れが加速しており、はっきり言って世の中がその速さに全然適応できていません。

そのため、ちょっと前まで常識レベルで正しかったことが、今は必ずしも正しくないということが起きています。

しかしその正しくない場合に多くの人はそれに気付くことができず、正しい方を「間違っている」と認識して叩いてしまうことが多々あります。

その一、陰キャだから「悪」

陰陽二元論で「陰=悪」ではありません。なのに何故日本では「悪」なのか?!でも触れましたが、今は「陰キャ」でもやり方次第でかなり大きな生産活動に携わることができる時代です。

しかし多くの人は「陽キャ」に憧れ「陰キャ」を忌み嫌っているという、以前の時代の認識を引き摺っています。

そして残念ながら、その「陰キャ」の中に素晴らしい才能を持っている人がいるのに、自ら「自分は陰キャだからダメだ」と思い込んでその力を発揮できない場合が非常に多いのです。

私はその状態を何とかしたいと思ってこのブログを書いています。

「陰キャ」は悪ではないし、むしろこれまで「陰キャ」を避けるような時代の流れであったから逆に、潜在的にはその力が求められているのです。

「陰キャ」がその才能を発揮することは本人のみならず、周りの人にも歓迎すべきことなのです。

才能を発揮するのは世のため人のためであり、それで生産活動と投資や消費する金額も増えて最終的には税収も増えて、皆が幸せになりますから。

その二、考え方が個性的だから「悪」

例えば芸人さんから絵本作家さんになったキングコング西野さんや、ゾゾタウンで有名な株式会社スタートトゥデイの前澤社長のように、考え方が個性的で常識的ではないという理由で叩かれる場合があります。

どちらもお仕事で成功されているので、嫉妬も含まれてはいると思いますけど。

また、その常識的ではない考えでいろいろ行動して成功しているので、それもまた叩かれる要因かもしれません。

ただし私が思うのは、むしろ今の時代にはこういう考え方の方が合っていると思うのです。

もっと言えば、前澤社長がゾゾタウンで成功したのは、その考え方が「日用品」ではなく「嗜好品」を扱うのに非常に合致していたからであり、実は嗜好品を扱う場合にはこちらの方がむしろ常識的な考えであると私は考えています。

嗜好品とは、生活には必ずしも必要のないものであり、生活を楽しむものですよね?

生活をより楽しくするために自分の稼いだお金で嗜好品を買う⇒その体験を嗜好品を売るというお仕事に生かす。

前澤社長がやっているのはこういうことなんです。

普通の日本人にとっては「稼いだお金は貯金するのが良いこと」が常識ですけど、そういう人は嗜好品を扱うのには向いていないと思いませんか。

それ故に多くの日本人は前澤社長が高価な美術品を購入し、従業員に還元しないことを叩いていますけど。

前澤社長がゾゾタウンで成功できたのはバスキアの絵画やエルメスの内装品などの、美に対する類まれなる関心や執着心があったからです。

もしも前澤社長がそれらの美術工芸品に対する一切の興味を失って「従業員に還元しよう」と思った時、あの会社の成長が止まって衰退が始まります。

そうなったら前澤社長の会社の従業員や株主、あるいはユーザーや取引先の会社様など、収入や利益が減ってしまってついでに税収も減ることになります。

その三、労働時間が短いのは「悪」

日本人はとにかく労働はこの上なく良いことだと考えています。

それ故にちょっと前までは残業してがんばることは良いことだとされてきました。

これがエスカレートして過労死または過労による自殺等が増えてきたために、今は定時で仕事を終わらせることが良いとされるようになりましたけど。

しかし実際の話、特に地方の会社や中小企業などでサービス残業の悪習が未だに残っているというところもあります。

(もちろんそうしないと生き残れない会社もありますけど、そういう会社をムリヤリ残すのってどうなの? と個人的には思うのですが)

ちなみに前出の前澤社長ですが、以前は週三日ぐらいしか出社していませんでした。

今はゾゾスーツとPBで多忙のため、週五日働いているそうです(って、それが普通ですけど)。

この社長を始め従業員の方も全体的に労働時間は短めとのことですが、その割にこの会社の生産性は非常に高いのです。

というのもですね、会社の指標の一つに「ROE(自己資本利益率)」というものがあって、これは企業の株主資本に対する当期純利益の割合を表わしますけど。

この数字が高いと「株主が出したお金を有効活用できており高い利益が返すことができている」という話になるのですが、この会社は常に全上場企業のトップテン以内に入っているのです。

労働時間が長ければ良いってわけではなく、利益をどれだけ上げたかというのが大事なんですよね。

かつてのテクノロジーが発達していない昔であれば、労働時間が長ければその分利益を上げることができました。

日本の常識は、その頃の思想に未だに引き摺られているままなのです。

ぶっちゃけてまとめると

他にもあるとは思うのですが、キリがないのでこの辺でまとめに入ります。

って、はっきり言って良いですか?

皆、ホンマにちゃんと考えてます?

皆の言う、常識とやらに沿った生き方をするとどうなるのか。

画像は年収ラボ様より頂きました。
統計元は「平成26年 国税庁 民間給与実態統計調査結果」とのことです。

実はこれより前のバブル経済真っ盛りの頃から確認すると、もっと下がっているのではないかと個人的には思うのですが。

と、そう書くと「それは国全体がそうなっているのだから仕方がない」という話になりますよね。

確かにそれはそうなのですが、ならば国全体がそういう方向にあるのにお金持ちな人っていますよね。

何故でしょうか?

昔、国全体がお金持ちだった頃に持った資産が今も残っている?

まぁ、そういう人もいるけど、そうでない人もいらっしゃいますよね。

そういう「例外的なお金持ち」になるのには、どうしたら良いのか?

「例外」とは、いわば「普通ではない」ことです。

普通ではない状態、つまり人並みを外れてお金持ちになるには

  • 一般的に常識と言われていることとは違う考えを持って行動を起こす

これが答えとなるのではないでしょうか?

また、もしおられましたら……既に叩かれている人へ。

あなたが叩かれているのは、あなたがあまりにも画期的な考えをしたとか実行したとか、そういうことかもしれません。

それを理解してくれる人が身近な人ではいないかもしれません。

でも、自分の胸に手を当てて、自らに恥じることは何一つやっていないと自信を持って言えるのなら、そのまま突き進んでいってください。

(一応周りの人の話を聞いた上で、それでも……という話です。聞く耳を全く持たないというのはまずいかも)

がんばってくださいね。応援しています。