私はベーシックインカム推奨派ですが、もしもずっと導入されないなら……

えーと、久しぶりにアマゾンの出版以外の話です。

タイトルにも書きましたが、私はベーシックインカム推奨派です。

しかしその理由については、私と全く同じ意見の方には(ツイッター等で)まだお会いしたことがありません。

(一部同じ方は居られます。それは「いずれAIやロボットに仕事を奪われる」という理由です。それは確かに)

「今の労働者が気の毒だから施せ」系の考えが多いわけですけど、はっきり言って私は一切そう思っていません。

私は「国民に施せ」ではなく「国民に投資しろ」と言いたいのです。

だからはっきり言って左側の意見の人とは合わないのですが、そういう左側の人がベーシックインカムの語句だけで私をフォローしてくださって、いつの間にかフォロー外して消えているということが何度かありました。

つまり私が何故ベーシックインカム推奨派なのかと言いますと「すべての日本人に、よりお客さんの立場で物事を考えられるようになるため」なんですね。

そして「労働者ではなくお客さんの立場で物事を考えるのが当たり前になって、それでお客さんが望むものをより生み出しやすくすれば良い」と、そのように考えているわけです。

そしてそうやって生み出すことができた人の中には起業して成功する人や、そこまでは行かないけど個人事業主として自立できる人がたくさん出てくるはずです。

というのも、今はもう生活に必要なものは揃ってしまいましたので、これまでの路線をそのまま続けるのは無理があると思うのです。

何故なら生活に必要なものとは基本的に「より良い商品をより安く、より多く(のお客さんへ)」というものだからです。

このより「多くのお客さん」に幅広くものが供給され隅々まで行き渡ったら、次は「より良い商品をより安く」だけの話になるわけですが、そこには当然労働者も含まれていますよね。

だから「より(多くのことができる質の)良い労働者を(求められてかつ)、より(賃金は)安く」という状況に陥ります。

一方、労働者は労働に従事している時は労働者ですが、それ以外では消費者、つまりお客さんでもあるわけです。

お客さんは賃金が安くなっているので可処分所得も減り、ものを買う時はよりシビアな目で見てしまいがちです。

するとますます「より良い商品をより安く」に拍車がかかってえらいことになっているわけです。

(この辺の話にご興味ある方は本サイトの『ひろゆき氏もベーシックインカムをおすすめ! 私もおすすめ(←誰も聞いてまへん)』もよろしくお願い致します)

しかし残念ながら、日本でベーシックインカムが導入される気配はありません。

ならどうするのかと言いますと、個人的におすすめなのが投資です。

ほんの小額でも良い、単位未満の個別株でも良い、それも難しいなら日本株の投信でも良いです。

すると何が良いかと言いますと、視野が広がり別の視点が増えます。

別の視点とは「投資家の視点」です。

大抵の「どうしたらお金持ちになれるか?」がテーマの本やWebサイトでは「コンビニには行くな」と書いていますが、私は賛成できまねます。

もちろん浪費が激しい人とか、そういう人は避けなければなりませんが、そうでないならむしろ行くべきです。

何故ならコンビニはスーパーよりも高い、だから価格競争ができません。

多くの人は消費者の目線で「だから無駄遣いの仕掛けがいっぱいあるじゃないか」という角度で見ています。

しかしですね、これって裏を返せば貴重な勉強の場所なんですよね。

価格競争ができないコンビニが、如何にしてスーパーや競合他社、あるいはその他小売店と戦っているのか?

(ということを本サイトの『コンビニは節約の敵だから行くと貧乏になると思っている人。それこそ貧乏になりますよ?』で書きました。こちらもよろしくお願い致します)

ただまぁ、最近はコンビニオーナー様に対してやり過ぎ感があって、ちょっとどうかとは思うこともありますけども。

投資をしたからこそ、こういう客以外の目線を持つことができたのではないかと思います。

そしてこういう目線の追加ができるようになれば、ベーシックインカムが導入されなくとも「労働者だけど客目線」というのが(投資をする前の自分の立場一つだけだった頃よりも)考えやすくなるのではないかな、とも思いました。

健康も財産のうちだと今さら気付く。お金だけじゃない…けど…泣

最近、株式投資で失敗していました。

札幌アンビシャスのRIZAPという会社です。

とは言え一時期よりは持ち直してきましたので、今現在の損失も10000円を切りました。

立ち直ってからまた冷静に分析し、ここにご報告したいと思っていますが……できるのでしょうか?!

ただし、以前に書いたビープラッツという会社を始め、他の銘柄が調子が良いのでトータルでは問題ありません。

……今のところは、ですけど。汗。

そのRIZAPですが。

損したままだと悔しいので、株主優待でもらった本を読んでダイエットを始めました。

そしたら結構痩せてきて、体調も良くなってきたんですよこれが。

元々甘い物やスナック菓子が大好きで、糖質は明らかに取り過ぎ状態でした。

何とかしなければーと思いつつ、何もせず時が過ぎ……

……しかし、今回は違います。

だって、このまま損し倒したら腹立つやないですか!!!

「江戸の敵を長崎で討つ」という諺がありますが、別に長崎じゃなくても北海道でも沖縄でも、あるいはロンドンでもパリでもニューヨークでもカイロでもブエノスアイレスでもカラカスでも~中略~どこでもええやないですか!!!

というわけで、この場合の私の長崎とはダイエットに当たりますけども。

このダイエットを成功させて「これはRIZAPで儲かったお金で、ジムだかエステだかに通って痩せたんだぁー」と脳内でムリヤリ変換させたらその金額分は損失補てんできますよね?

今回はそういう作戦でがんばることにしました。

……ははははは。泣。

で、タイトルの話ですが。

脂肪が落ちて筋肉がついて体が軽くなり、体温も上がって冷え性も改善されましたらですね。

「やっぱ健康って大事なもんだなぁー」としみじみ思ったわけですよこれが。

年だから仕方がないと年齢を言い訳にして、運動をほとんどしなくなって食べ物にも気を遣わなくなっていましたが。

その状態を当たり前だと思ったらやっぱダメですね。

ただ、それが当たり前だと思ってしまっていると、なかなか気付くことができないんですよね。

今回は一時かなりの損をしたことで、そのことに気付くことができて良かったと思っています。

……株が下がらずに気付いたらもっと良かったですが。笑。

追記)マネーの虎の同窓会の紹介記事から故藤山寛美さんに辿り付いた話

先ほど、本サイトの以下の記事を書きましたが。

マネーの虎の同窓会の紹介記事から故藤山寛美さんに辿り付いた話

実はもっと長文だったのですが、さすがに長過ぎるやろーで割愛しました。

その省いてしまったところをここに書いておこうと思います。

文字通り「割愛」な内容ですよ?!

さて、その内容ですが。

詳細は上記リンク先の記事をご覧頂きたいのですが、お時間のない方のために。

昔、放送していたテレビ番組「マネーの虎」の話です。

その内容は「(虎と言われる)事業に成功した人が、新しい事業に挑戦しようと出資を希望する人を募る」というものでした。

とある回で虎側の堀之内社長という方が、応募された黒澤社長に厳しいことを仰って叩かれていたわけです。

そこで私は「堀之内社長の仰っていることは正しい」ということを、記事に書きました。

で、叩かれていたのはYouTubeに映像が上がった後の話で、放送した当時ではありません。

この映像がYouTubeに上がった時には既に、堀之内社長の会社は倒産していたわけですよ。

そしてかつて堀之内社長に厳しいことを言われた黒澤社長は大成功していました。

そういう結果が出たこともあって、コメント欄に堀之内社長を叩くものが目立っていたのではないかと思います。

さて、私がさらに書きたかったこととは何なのか?

それは「分散化」の話です。

結果として堀之内社長の会社が倒産したからと言って、すべてが間違いだったのでしょうか?

私はそうは思いません。

もちろんビジネスは結果がすべてという人もいるでしょう。

市場ではいろんな業者さんが、しのぎを削る激しい戦いを繰り広げていますし。

ですが、結果的に戦争に負けたとしても、個々の戦闘では勝利したこともあるかと思います。

全体としての敗因もあるでしょうが、個々の戦闘の勝因もまたあるはずです。

それらのすべての「情報」を糧として、より良い未来に向けてできるだけ前へ前へと進んでいく、大事なことではないかと私は思うのです。

もしかしたら、堀之内社長の動機は黒澤社長のためを思ってという動機ではなく、本当に(コメント欄の方がご指摘なさっていたように)自分が偉そうにしたいとか、そういう動機で厳しいことを仰ったのかもしれません。

しかし動機はさておき、得られた情報が同じならどっちでも良いじゃないですか。

上記リンク先の記事にも書きましたが、故・藤山寛美さんが「この人には才能がない」と判断して優しく指導した場合では、得ることができない「情報」もあったはずです。

厳しいのか優しいのか以上に結果的に得られた「情報」は何なのかということが、最も重要なポイントだと私は思うのです。

感情が、あなたからお金を奪っていく……

男性の中には「女はバカだ」とか「これだから女は」とか、堂々と言う失礼な人もいます。

これだけだったら単にその人が失礼で終わりですけど、何でそういう発言をしたのかという原因を探ってみると、要するに「仕事中など感情的になってはならないところで感情的になる」といった尤もな理由があったりします。

でも、個人的には「それはそうかもしれんけど、そんな言い方はないやろ!」とか「それは女の性(さが)ってのもあるけど、半分は教育のせいやからな!」とか思って、内心腹を立てたりしていますけども。

(親とか先生から「女の子は思い遣りの心が何よりも大事です」て言われませんでした? 私めっちゃ言われてました。恐らく多かれ少なかれ心当たりがあるのではないかと思います。女の子は皆)

ただ、感情的になることは、このような「愚か」という自身の悪い評価に繋がるだけではなく、金銭的にも損をすることが多いと思うんですよね。

というのも、何か大事なことを考えなければならない時に怒りや悲しみの感情が頭を支配していると、なかなか良い考えを思い付くことができませんので。

俗に言うサイコパスと言われる性質を持つ人が出世しやすいのは、これも原因の一つではないかと私は疑っています。

とあるブラック企業と言われて有名になった大きな居酒屋チェーンの創業者がこれに該当するのではないか、と言われたこともありましたけど。

確かあれは、過労自殺した従業員のことを何とも思っていないかのように思える発言があったことなどで、そのように言われたように記憶しています。

普通だったらショックでこれ以上何もできないし考えられない、みたいな状態になると思うんですよね。

そういう感情に欠けているからこそ、常に頭を思考の方で存分に使うことができる、それがサイコパスな人が出世しやすい理由かと思っています。

そしてこういうサイコパスな人が成功して大金持ちになったという話を聞いて、世の中が間違っているという「怒り」や単純な「妬み」などの感情に取り憑かれてしまうことは損だと思いませんか?

それはそれとして、その人が「どうやってお金持ちになったのか?」という、その点を考えた方が良いと思いませんか?

もちろんそのために、人でなしになるべきだと言いたいのではありません。

あくまでも「それはそれ、これはこれ」として、戦略として学ぶべきものや自分にも取り入れられる良い習慣とか、そういうものを有益な情報として扱った方が良いのではないかと私は思うのです。

(ここら辺の話にご興味ある方へ。本サイトの『お金持ちに「何故?」が多いのは何故?』も、よろしくお願い致します)

そうそう、妬みもその感情の一つですが。

妬みの心を丸出しにしてお仕事をすると、場合によっては困ったことに発展するかもしれません。

(ここら辺の話にご興味ある方へ。本サイトの『その妬みの心にちょっと待った! 実は貴女の方がむしろ妬まれる立場かもよ?』も、よろしくお願い致します)

また意外なことかもしれませんが、こういう悪い感情だけではなくて「嬉しい」とか「幸せだ」などの良い感情にもこのことは当てはまります。

(ここら辺の話にご興味ある方へ。本サイトの『お金持ちになるか、幸せな人になるか。お金持ちになる方の考えとは?』も、よろしくお願い致します)

  • 如何に感情と切り離して思考だけに頭を使うことができるのか?

それが、お金持ちになる秘訣ではないかと私は思います。

(ただし、ただしです。

先ほどブラック企業の例を挙げましたが。

何よりも感情を優先すべき緊急時というものもまた、存在します。

「これは辛くて耐えられない!」「早くこの場から逃げなければ!」

そういう心の声に素直になって、逃げなければならない時は逃げてください。

私はこのことを逆に、男性諸君に力強く訴えたいのです。

以前に書いた私のツイートです。

「#私たちは女性差別に怒っていい」ではなく「#私たちは男女差別に怒っていい」にすべきだと個人的には思います。

「これだから女は」って言うてる場合ちゃうで! 君らも騙されとるんやで!)

お金持ちになるコツは、勝てる勝負または勝てそうな勝負しかしないこと

今回の話は、本サイトの『人類最大の発明である「複利」を利用し見える化する方法とは?!』という記事に関連する話題です。

上記リンク先の記事では「複利」がどれほどすごい発明なのかを書いたわけですが、今朝になって以下の記事を見つけました。

東洋経済オンラインの記事です。

20代の会社員が「コツコツ投資」で十分な理由

要約すると「若くて時間があるのだから非課税の『つみたてNISA』をやれば良いのに」という話でした。

私もそう思います。

私も若い人に言いたいです。

「複利」の力を最大限発揮するのには、時間は多ければ多いほど有利なんですよっ!!!

声を大にして、叫びまくりたいです。

最近の若い人の中には、そこそこの年齢以上の人を羨ましがったり妬んだりする意見をお持ちである人もいるようです。

リアルで出せない分、ツイッター等で匿名だと表に出やすいっていうのもあるのかもしれないのですけども。

確かにお金の面だけで世代別で考えると、そうなのかもしれません。

しかしですね、我々の世代はそれでも若い人が羨ましいですよ?

っちゅーか、少なくともこの私は非常に羨ましいと思っています。

昔はこんなに安くて良い物はありませんでしたし、情報を得る手段だってテレビや雑誌などの限られた上に偏ったものしかありませんでした。

厳しい時代に生まれてきたからこそ、小さい時からちゃんと勉強しなければならないということを自覚してきた賢い今の若い人を見ると、若い時の愚かな自分が恥ずかしくなるのと同時に、自分の意思で好きなだけ情報を得て勉強することが容易い若い人が、心底羨ましいと思います。

(何年か前にTVのドキュメンタリー番組で、母子家庭で二代にわたってネカフェでホームレスをしている女性への取材がありましたけど、その母親は私と同じ世代でした。

あの母親の方が特別に愚かな人であったのかと言えば、私はそうは思いませんでした。

私も一歩間違えたら同じ立場だったと思いますし、何でああなったのかと言えば、時代的に何も考えなくても何とかなるという空気が満ち溢れていたわけですよ。

もちろん娘さんは親のせいでその状態ですから、もっと気の毒ではありますけども)

というわけで、話しを戻します。

若い人にあって私らぐらい以上の世代の人にないもの。

それは、時間です。

お金持ちになるノウハウ本は今も昔もたくさんありますけど。

紙面を割く量や順番などはまちまちですが、必ず出てくるのが「お金持ちはお金よりも時間を大切にしている」という文言です。

時間は一度失ったら取り返すことができませんから。

お金を遣って時間を短縮したり誰かを雇って自由な時間を得たりすることはできますけども、既に老人になってしまった人がもう一度若い頃に戻りたいと思っても、戻ることはできません。

若い人が持つ武器の一つである、時間。

これを利用しない手はあり得ません。

そして、情報。

これをそう簡単に得られない立場であったが故に、どこに出しても恥ずかしい愚か者でした。若い頃の私は。

もちろんこの時代でも賢い人はいましたし、そんな言い訳するなと言われそうではありますけども。

しかし、しかしです。

私がもっと若くて今の状態であったなら……そう思うと、どうしても羨ましく妬ましく思ってしまいます。

これを読んでいる、裕福な上の世代が羨ましいと思っている若者の皆さんへ(←おられましたら)。

何ができないか、何が足りないかに注目するのではなく。

何ができるか、何を持っているかの方に、もっと目を向けて欲しいと思います。

そして是非そちらの方を武器として、戦ってください。

……いや、私も戦いますけど。現実と。

これから必要な教育への未対応を嘆く

今回は『今はもう間違いとなった常識もあるのに、その常識と違っていると叩かれます』の関連的な内容です。

また、本サイトの『実践編)先人の教え「金は天下の回りもの」と「情けは人のためならず」に学ぶ』の内容にもカブります。

特に株式会社スタートトゥデイの前澤社長の話がたくさん出てきますが、別に大ファンだというわけではありません。

以下、よろしくお願い致します。

気付いたのは前澤氏へのツイートから

この最近、売れっ子の女優さんとお付き合いをしていることで有名になった株式会社スタートトゥデイの前澤社長ですが。

前からツイッターで叩かれることもあったようですが、それがエスカレートしていました。

やっぱり相手が人気女優さんですから、それが許せないファンも混じっているのかと思われますけども。

ただ、それにしてもちょっと叩かれ過ぎではないかなぁーと。

それも若い人が古臭いことを書いて叩いているのが気になりました。

いや、ある程度の年齢の人が若者のふりをしているのかもしれないですし、実はそういう人が大半だったとするならば、日本も安泰なんですけどね。

その理由については本サイトの『実践編)先人の教え「金は天下の回りもの」と「情けは人のためならず」に学ぶ』でも書きましたが、該当部分を以下に抜粋致します。

皆、わかってないけど、あの人は天才やからねぇー。何の天才かと言うと「嗜好品を売る天才」です。それ故に「大量生産大量消費時代の経営者の常識では考えられない発想だから叩かれる」という面もあるでしょうね。

~中略~

嗜好品とは「必要ではないけどあると嬉しいもの」なんですよね。今は生活必需品かそれに近い道具のような物は既に満たされています。服もそう。その上で「欲しい」と思って買ってもらうにはどうしたら良いのか、という話になっています。

古代ローマ時代の詩人ユウェナリスが詩篇中で使用した表現に「パンとサーカス(見世物と訳されている場合もある)」というものがあります。

日本でも近年「ものより思い出」とか「モノ消費からコト消費へ」とか言われていますけど、これって実はユウェナリスの二番煎じなんですよね(ちと失礼ですが)。

この「パンとサーカス」を拡大解釈すると、パンとは生きるため=生活するために必要なものを表わしており、サーカスは生活に必要のない娯楽等を表わします。

生活には必ずしも要らない、でも幸せに生きるためには欲しいもの、それが「嗜好品」です。

「嗜好品」を提供する際の誠実さとは?

つまり、良い「嗜好品」とは何なのかと言いますと、買ったお客さんを「より幸せにするもの」なんですよね。

自身が不幸ぐるぐる巻きで過酷なノルマを課せられて日々辛い思いをして働いている状態で

「この商品は良いですよー。きれいになって幸せになれますよー」

って「嘘」を言われて、その人とその商品を信じられますか?

その人自らがその商品を使って幸せだと「本当」に心から思っていてこれを言われた方が、そのお客さんにとって「誠実」な状態ではないですか?

これが今までの「日用品」と決定的に違うところなんですよね。

「日用品」とは、生活に必要な食糧や道具、あるいはガスや電気などというインフラを指します。

これらのものがない、または足りていない時代には、自らの時間を削って労働力を提供し、これらの充足に応えることは「誠実」なことでした。

しかも昔になればなるほど、工作機械などのテクノロジーが発達していません。

そういう時代であればあるほど、その労働者自身の体力や忍耐力などがありがたいと思われる割合が大きくなります。

「日用品」をより進化させる方は限界

従来の日用品をより良くする方向が完全に間違っている、と言うつもりはありません。

ただし、その方向で成功する人は極めて優秀な人に限られますので、これ以上より力を入れていく方向はどうなのかなと。

極めて優秀ではないほとんどの人のお仕事はより評価が厳しく苛酷になり、さらに報酬も少なくなってより貧しくなっていきますので。

何故ならば、日用品とは「より良い商品をより安く、より多くの人に(足りなくて不自由な思いをする人を減らすため)提供する」というものだからです。

この「より良い商品をより安く」の中に労働力も含まれてしまい、より良い労働力が提供できるほどの優秀さを持ち合わせていない労働者は全員「より安く」の方に入ってしまうのです。

これ、怖くないですか?

それに対して「嗜好品」は「それなりに価値あるものを、価値のわかる一部の人へ提供する」というものです。

売るために安くする努力はあまり必要ではないのですが、逆にその価値をより大きくすることやよりわかってもらう方向での努力が必要となります。

価値をより大きくすることやよりわかってもらうこと、ここら辺が今の日本人に欠けている能力ではないかと私は思います。

その能力があまりに欠けてしまっているので、それが重要であるということさえも気付くことができない、だから前澤氏を「常識外れだ」と思って叩く人が多い……のではないかと私は考えたのです。

「日用品」から「嗜好品」への対応

では、ここら辺で結論です。

タイトルの「教育の未対応を嘆く」ですが、私はこの「嗜好品」への未対応を嘆いています。

何も考えず、というよりも考える時間すら惜しんで根性出して働くことが「誠実」であった時代は、もはや遠い昔の話です。

まずは「お客さんの立場で物ごとを考える」ことを起点とせねばなりません。

ものがないまたは足りない時代は、その必要がありませんでした。充足させれば良いのですから。

そしてお客さんの立場にたって、よりその商品の価値を大きくしそれをよりわかりやすくして深く理解してもらえるようにすること。

それが正しい「嗜好品」を提供する方法です。

日本には良いものがたくさんありますが、残念なことに日本人自身がその価値に気付いていない、ということも多いのです。

最もわかりやすい例を一つ挙げると、浮世絵です。

当時の日本人自身にその価値がわからなかったため大半は失われましたが、運良く流出先の海外で評価してもらった作品については現存させることができました。

優れた浮世絵が失われることは日本の富の喪失でもありますが、人類史上からの喪失でもあります。

この悲劇を繰り返さないためにも、また現在辛い思いをして働いている人々のためにも、教育での対応が必要ではないかと私は思うのです。

いや、対応が必要なのは教育だけの話ではないですけども。

結果を急ぎ過ぎ求め過ぎ&挑戦を評価しない日本人は損してます

今回はこのブログの内容とは直接関係のない話ですが、日記に放り込むのは惜しいと思うそんな内容です。

また、以前『今はもう間違いとなった常識もあるのに、その常識と違っていると叩かれます』の冒頭で書いた「皆さんには是非知っていてもらいたい大切なこと」ではないかとも思ったのですが、こちらの記事ほどではないかも?

これから書く話も結構大事なことだとは思うのですが、比べてみるとですねー……んー……。

ただし今回の記事も前回同様に、今の日本人でこれをできる人はまだまだ少ないですから、ここを読んだあなたはかなりラッキーな人です。やったね!!!

とはいえ「そんなん既に知っとるわい!」という人もいるでしょうね。

その方には、ごめんなさいm(_ _)m

では行きます。

まずは、俗に言う「ギブ&テイク」の話から

かなり有名な原則というか法則というか、そういう言葉で「ギブ&テイク」というものがあります。

もう今さらな感じですし、ここから派生した言葉に「ギブ&ギブ」というものもありますね。

今の時代は「このギブ&ギブって結構当たっているかも」と思うのですが、その理由は後述します。

実はこれって人付き合いで昔から言われていたことですが、会社にも当てはまることです。

本サイト『【竹原慎二のボコボコ相談室】仕事編)48歳フリーターで結婚したい男性へのななの回答』でも、以下のよう書きました。

M&Aで有名な「Rizap Group」の社長、瀬戸 健氏は「業績の悪いダメな会社はギブ&テイクのテイクが先に来ている」と仰っています。

「テイクが先」か。業績が悪くなるとどうしても「会社を何とかしなければ」って、気持ちが強くなってしまうからなぁー。

会話形式の記事なので、そこだけ抜粋するとちと違和感がありますが。お許しください。

ただしやり過ぎてそのままだとダダ赤字になるので、どこかで線を引かないとだめですけど。

今までみたいに、企業側が「自分らがどうやって利益を出すか?」というところからだけで物事を考えるのは危険です。

少なくとも、客側にどういうニーズがあるかを先に考えて、その後にそこを満たしてどうやって利益を出すかという話になるわけです。

で、何で「ギブ&ギブ」が時代に合っているかと言うと、IT革命以降の情報化社会の今となっては「客の立場が強くなっている」からなんですね。

競争が激しくなっているので、やり過ぎぐらいなことを考えないと勝ち残っていけないわけですよ。

それが他社も考えそうな程度のことだった場合、差別化できず埋没してしまって利益を取れるところにまで辿り着けない可能性がありますので。

というわけで、ここで言いたいことは「ギブ&テイク」は個人の人間関係にも会社にも当てはまる大事なことです。

私は人生を幸せにするためには、三つの原則があると考えています。

そしてまた「本質的に正しいことは、大なり小なり当てはまる」と考えています。

(詳しくは本サイト『前書き。人生をより幸せにするための三つの原則について』をよろしくお願い致します)

それ故に、個人にも(個人が集まってできた)会社にも当てはまるのではないかと。

では、個人のお付き合いの場合は?

人間関係の悩みとは、他人とのお付き合いからもたらされるものがほとんどです。

中でも多いのが、友人が欲しいとかお付き合いする異性が欲しいとか、ですよね?

原因はこの「ギブ&テイク」が機能しておらず、自分のテイクが先にきていることです。

本サイトの以下の男性もそうでした。

【竹原慎二のボコボコ相談室】結婚編)48歳フリーターで結婚したい男性へのななの回答

詳細はリンク先をご覧頂けるとありがたいのですが、要するに「自分は何ができて何が与えられるのか、それを考えて実行しよう。一例はまめであること」という話でした。

上記は結婚に至るお付き合いのできる女性が欲しい、という話でしたが、友人の場合も基本的には同じです。

同じく本サイトの以下の記事も参考までに。

北野武監督、フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を受章……で、思い出した話

そして、結果を急がず求め過ぎず挑戦する

上記のリンク先で北野武監督が既に答えておられました。

「友達が欲しかったら、困った時助けてあげて相談に乗ってあげて心配してあげて・・・・・・そして相手には何も期待しないこと」

元の言い方は複数存在するので、私の意訳で失礼します。

  • 相手には何も期待しない

ここが重要なポイントなんですよね。

大抵の場合は、直接その友人からのお返しを期待してしまいます。

そしてその人とより良い友人関係を築こうとします。

しかし、その人から直接お返しがないとがっかりしたり腹を立てたりなどして、嫌な気持ちになってしまいます。

では、私からはっきり申し上げます。

「違うんですよ?

今、あなたがしなければならないのは、友人を探すことです。

その人と友人になること、ではありません。

より良い友人を探すためには、ギブ&テイクのギブから始めなくてはならないのです」

相手に期待せず誰にでもギブを繰り返しているうちに、それに応えてくれる人があらわれます。

その人と友人になれば良いのです。

かなりギブを与えてもお返しが全然返って来ない人も確かにいますけど、それは「その人がそういう人だとわかって良かった」と思って次に行けば良いじゃないですか。

大事なのはギブを続ける、挑戦し続けることです。

情けは人のためならず&金は天下の回りもの

このことは、お金にも当てはまります。ま、そーですよね。

これを会社にも当てはめると、ダメになる会社がわかりますので。

シャープとか東芝とかNECとか、老舗の会社でもありますよね?

老舗に胡坐をかいて、客の方を見なくなったような会社です。

そういう会社の株を買ったら貧乏になるから、そういう会社を外して「プチ株を用いて自分で日経平均もどき」を編みだして買う、というのも一つの方法です。

しかし、私が言いたかったのはもっと根源的なことです。

タイトルにも書いた「金は天下の回りもの」ですが「いろいろな会社に投資する、そのことに挑戦すること」でより大きなお金となって回ってくることができます。

また、投資ではなく消費の中にも「自分への投資」が含まれており、それに該当した時により大きなお金となって回ってきます。

(それが消費ではなく、浪費だとダメですよ?)

この「自分への投資」は、当然ながら消費しないことには始まりません。

そして「お金」とは、実は「信用」の一種であります。

お金だけでなく、全般的に言い表した諺が「情けは人のためならず」です。

(これを「情けはその人のためにならない、だからかけるべきではない」と思っている人がいますけど、違いますよ?

「情けは人のためではなく、結局は自分のために戻って来る(から、かけるべきだ)」という意味です)

日本人はねー「失敗を必要以上に恐れて、それが挑戦することの回避に繋がる」という傾向があるのではないかと、私は思いますので。

「一回で成功するとは思わない、成功するまであきらめず挑戦し続ける」という、この考えが人生を幸せに導くのではないかなと。

とりあえず、誰かに尽くしたのにとか株に投資したのにとかでリターンが得られなかった場合にいちいち悩まなくなりますので、それだけでも人生は捗りますよ?

まじおすすめー☆彡

私は引き寄せの法則を信じていませんが、結果は同じようなものかも?

今回の話は「あんま関係ない」どころではなく「全然関係ない」話です。

タイトルにも書きましたが、私は「引き寄せの法則」を信じてはいません。

しかし何か成したいことができたとするならば、まずはそれを思考するところから始めなければなりません。

というわけで、その結果として起こることはほぼ同じものであるような気がします。

「こんなに成功するなんて、思ってもみませんでした」

と、成功してから仰る方がおられますけど、そんなことはないと思います。

本当に成功すると思っていなかった場合は、成功した後の環境の変化に戸惑ってついていけないということが起るはずですから。

文豪・吉川英治の最初の妻やすは、そのような成功した後の変化についていけなかった人でした。

やすは吉川英治が売れるまでは非常によく尽くしていたできた奥様でしたが、売れた後のあまりにも変わってしまった環境の違いについていくことができず、その後の彼の創作活動に協力することができませんでした。

また、吉川英治が浮気をしたこともあって、結局は離婚してしまいます。

率直に申し上げて、実はやすは吉川英治が売れなくても良かったと考えていたのではないかと私は思いました。

吉川英治に尽くして経済的にも支えて感謝されているという、その状態そのものが実は結構幸せだったのではないでしょうか?

(ここで「幸せって何だろう?」という疑問が出てきますけれども。

作家として成功して「お金持ち」になることは、普通は「幸せ」なことのはずですよね。

必ずしもそれが「=」にならないとすれば、どちらかを選ばなければならないのでしょうか?

この辺りの話にご興味がある方は、本サイトの以下の記事

お金持ちになるか、幸せな人になるか。お金持ちになる方の考えとは?

どちらを選ぶか。お金持ちな人と幸せな人はあんまり一致していない???

をご覧ください。よろしくお願い致しますm(_ _)m)

夫が作家として大成功したのは良いですが、その大作家の妻に求められる資質というものは以前とは変わってしまいますよね。

実は尽くして支えている状態が辛くて、もしも売れたらこんな生活が待っていて、だからもうちょっと辛抱しよう……とか、そういうことを考えて居たら、その時に売れた後のこともいろいろ考えていると思うのです。

ただしこの場合は、支えている状態が辛くて耐えられずその時点で離婚、ということもあり得ますけども。

というわけで、最初の話に戻ります。

ある人が「引き寄せの法則」と呼んでいるほぼ同じような意味で、ある人は「思考は現実化する」と呼んでいる人もいます。

結局は表現が違うだけなんですよね。

私は「引き寄せの法則」というふんわりした表現があんまり好きではないという、ただそれだけの話だったりします。

逆に「引き寄せの法則」という柔らかい表現を好む人は、私のような理屈っぽい文章は好みではないような気がします。

そういうのは好みの問題で、同じようなことを言っているのだから、もう良いではないですかと。

いずれにせよ、ちゃんと考えないと成功しないし、もしも成功してもそれについていけず維持していくことができなくなりますよと。

ここにこうやって書きながら、自分に言い聞かせている今日この頃です。

まずは、思考するところからはじめましょうか。

最初はちょっとずつで良いので、一歩一歩。着実に。

焦っても何の解決にもならないし、しんどい思いをするだけですから。

ちょっとずつでも、一歩一歩。前向きに。

今はもう間違いとなった常識もあるのに、その常識と違っていると叩かれます

今回はこのブログの内容とは直接関係のない話ですが、皆さんには是非知っていてもらいたい大切なことで、ここだけでも読んで欲しいと思うそんな内容です。

今の世の中はテクノロジーが進み過ぎて時代の流れが加速しており、はっきり言って世の中がその速さに全然適応できていません。

そのため、ちょっと前まで常識レベルで正しかったことが、今は必ずしも正しくないということが起きています。

しかしその正しくない場合に多くの人はそれに気付くことができず、正しい方を「間違っている」と認識して叩いてしまうことが多々あります。

その一、陰キャだから「悪」

陰陽二元論で「陰=悪」ではありません。なのに何故日本では「悪」なのか?!でも触れましたが、今は「陰キャ」でもやり方次第でかなり大きな生産活動に携わることができる時代です。

しかし多くの人は「陽キャ」に憧れ「陰キャ」を忌み嫌っているという、以前の時代の認識を引き摺っています。

そして残念ながら、その「陰キャ」の中に素晴らしい才能を持っている人がいるのに、自ら「自分は陰キャだからダメだ」と思い込んでその力を発揮できない場合が非常に多いのです。

私はその状態を何とかしたいと思ってこのブログを書いています。

「陰キャ」は悪ではないし、むしろこれまで「陰キャ」を避けるような時代の流れであったから逆に、潜在的にはその力が求められているのです。

「陰キャ」がその才能を発揮することは本人のみならず、周りの人にも歓迎すべきことなのです。

才能を発揮するのは世のため人のためであり、それで生産活動と投資や消費する金額も増えて最終的には税収も増えて、皆が幸せになりますから。

その二、考え方が個性的だから「悪」

例えば芸人さんから絵本作家さんになったキングコング西野さんや、ゾゾタウンで有名な株式会社スタートトゥデイの前澤社長のように、考え方が個性的で常識的ではないという理由で叩かれる場合があります。

どちらもお仕事で成功されているので、嫉妬も含まれてはいると思いますけど。

また、その常識的ではない考えでいろいろ行動して成功しているので、それもまた叩かれる要因かもしれません。

ただし私が思うのは、むしろ今の時代にはこういう考え方の方が合っていると思うのです。

もっと言えば、前澤社長がゾゾタウンで成功したのは、その考え方が「日用品」ではなく「嗜好品」を扱うのに非常に合致していたからであり、実は嗜好品を扱う場合にはこちらの方がむしろ常識的な考えであると私は考えています。

嗜好品とは、生活には必ずしも必要のないものであり、生活を楽しむものですよね?

生活をより楽しくするために自分の稼いだお金で嗜好品を買う⇒その体験を嗜好品を売るというお仕事に生かす。

前澤社長がやっているのはこういうことなんです。

普通の日本人にとっては「稼いだお金は貯金するのが良いこと」が常識ですけど、そういう人は嗜好品を扱うのには向いていないと思いませんか。

それ故に多くの日本人は前澤社長が高価な美術品を購入し、従業員に還元しないことを叩いていますけど。

前澤社長がゾゾタウンで成功できたのはバスキアの絵画やエルメスの内装品などの、美に対する類まれなる関心や執着心があったからです。

もしも前澤社長がそれらの美術工芸品に対する一切の興味を失って「従業員に還元しよう」と思った時、あの会社の成長が止まって衰退が始まります。

そうなったら前澤社長の会社の従業員や株主、あるいはユーザーや取引先の会社様など、収入や利益が減ってしまってついでに税収も減ることになります。

その三、労働時間が短いのは「悪」

日本人はとにかく労働はこの上なく良いことだと考えています。

それ故にちょっと前までは残業してがんばることは良いことだとされてきました。

これがエスカレートして過労死または過労による自殺等が増えてきたために、今は定時で仕事を終わらせることが良いとされるようになりましたけど。

しかし実際の話、特に地方の会社や中小企業などでサービス残業の悪習が未だに残っているというところもあります。

(もちろんそうしないと生き残れない会社もありますけど、そういう会社をムリヤリ残すのってどうなの? と個人的には思うのですが)

ちなみに前出の前澤社長ですが、以前は週三日ぐらいしか出社していませんでした。

今はゾゾスーツとPBで多忙のため、週五日働いているそうです(って、それが普通ですけど)。

この社長を始め従業員の方も全体的に労働時間は短めとのことですが、その割にこの会社の生産性は非常に高いのです。

というのもですね、会社の指標の一つに「ROE(自己資本利益率)」というものがあって、これは企業の株主資本に対する当期純利益の割合を表わしますけど。

この数字が高いと「株主が出したお金を有効活用できており高い利益が返すことができている」という話になるのですが、この会社は常に全上場企業のトップテン以内に入っているのです。

労働時間が長ければ良いってわけではなく、利益をどれだけ上げたかというのが大事なんですよね。

かつてのテクノロジーが発達していない昔であれば、労働時間が長ければその分利益を上げることができました。

日本の常識は、その頃の思想に未だに引き摺られているままなのです。

ぶっちゃけてまとめると

他にもあるとは思うのですが、キリがないのでこの辺でまとめに入ります。

って、はっきり言って良いですか?

皆、ホンマにちゃんと考えてます?

皆の言う、常識とやらに沿った生き方をするとどうなるのか。

画像は年収ラボ様より頂きました。
統計元は「平成26年 国税庁 民間給与実態統計調査結果」とのことです。

実はこれより前のバブル経済真っ盛りの頃から確認すると、もっと下がっているのではないかと個人的には思うのですが。

と、そう書くと「それは国全体がそうなっているのだから仕方がない」という話になりますよね。

確かにそれはそうなのですが、ならば国全体がそういう方向にあるのにお金持ちな人っていますよね。

何故でしょうか?

昔、国全体がお金持ちだった頃に持った資産が今も残っている?

まぁ、そういう人もいるけど、そうでない人もいらっしゃいますよね。

そういう「例外的なお金持ち」になるのには、どうしたら良いのか?

「例外」とは、いわば「普通ではない」ことです。

普通ではない状態、つまり人並みを外れてお金持ちになるには

  • 一般的に常識と言われていることとは違う考えを持って行動を起こす

これが答えとなるのではないでしょうか?

また、もしおられましたら……既に叩かれている人へ。

あなたが叩かれているのは、あなたがあまりにも画期的な考えをしたとか実行したとか、そういうことかもしれません。

それを理解してくれる人が身近な人ではいないかもしれません。

でも、自分の胸に手を当てて、自らに恥じることは何一つやっていないと自信を持って言えるのなら、そのまま突き進んでいってください。

(一応周りの人の話を聞いた上で、それでも……という話です。聞く耳を全く持たないというのはまずいかも)

がんばってくださいね。応援しています。

やっぱし仕事でも家庭内でも認めてもらうには実績ですか

今回はこのブログの内容とは直接関係のない話です。
ちと愚痴が入るかもですが、よろしくお願い致します。

何故、私の主張がほとんど認められないのか?

はじめましてのごあいさつでも少し触れましたが、私と夫で意見が合わない時が多々ありまして。

そういう時はほとんど私が折れています。

それでも、ここぞと思う時には強硬に主張し、夫が折れることもありますけど。

ただしこれはここ2~3年の話であり、その前には私の主張は全然と言っても良いぐらい認められることはありませんでした。

何故なら、私は仕事ができなくて稼げないからです。

一方の夫ですが、仕事そのものはできる方ではあります。

ただ体が無茶苦茶弱いので若い時から無理が効かず、そんなに出世している方ではありませんけども。

私は家事労働を含めたあらゆる労働に向いていませんので、夫は結婚当初からかなり私をバカにしていました。

それが変わって、少しだけですが認められることも出てきたのは、投資で成功して資産を増やしたことがきっかけです。

……やっぱ、金かい!

きっかけは政権交代

2012年末から為替が円安になり、株価はほぼ一本調子で上昇を開始しました。

自民党に政権交代することで始まった、所謂アベノミクスです。

そういう時にはですね、銘柄を特に選ばずとも日経平均やTOPIXのETFを全力買いするだけでもかなりの利益が出ました。

その時の私は大手百貨店などの小売店などにも投資していたので、かなりの利益を叩き出すことができたのです。

この時の私は一般ユーザー相手の電話のオペレーターをやっていたのですが、何となくですが通勤途中や職場の空気が明るくなったような気がしました。

で、相場の雰囲気も明るくなって、何だか前とは明らかに風向きが変わったような気がしていたのです。

これは上がるしかない、とは思ったのですが。

何せ、家でも職場でもダメダメ言われ続けた私の考えですから。

ただまぁ、労働の方はダメダメ人間だった私ですが、投資歴は夫よりも長くて徐々に結果も出てくるようになっていたのですが。

あの時「それはそれ、これはこれ」で、分けて考えることができていればなと。

というわけでイマイチ自信が持てなかったので、全力買いは私だけにしておきました。

夫はそれまで通り、大量に個人向け国債を買っていました。

あの時に夫を説得しなかったことは悔やまれますが、常に自信のない状態だとこういう肝心な時にもそれが出てしまうのだなという教訓となりました。

まとめると、以下の二点

一点目は「実績」について。

人類を二つに分けると、「自分自身」と「自分以外の他人」に分かれます。

そして、自分以外の他人からの評価は「実績のあるなし」によってなされると思っておいた方が良いです。

そうでない場合の方が稀なのだと。

ちなみにアメリカでは、合理主義のカタマリ故に「機会は平等に与えなければならない」的な考えがありまして、日本ほど過去の「実績」を問われることがありません。

例えばAmazonと取引のある業者の中には、間違えたふりをしてわざと違う商品を送りつけるような悪質な業者が混じっています。

日本の業者なら大問題になるところですが、何でそんなことが起るのかと言えば「Amazonは業者のチェックを一切しない」からです。

Amazonの反論は「それは客側が注意すれば良いではないか。業者側の機会は平等にしなければならないし、そうにすることによって客側も良い業者が見つかることだってあるのだから」というものらしいです。

実はチェックする時間や人件費をケチっているだけだと思うのですが、そのことも「不必要な時間や人件費をかけなくても済む」という「合理的では良いではないか」という考えにも沿っていると言えば……えー、沿ってはいますよね。一応。

しかし残念。ここは日本ですから。平等の機会はないと覚悟しなければ。

そしてもう一点が、自分独自の評価を自分自身で持っておくことです。

他人が何と言おうと関係ありません。

最終的な判断は、その他人の判断を受け入れるかどうかを決めた、自分自身にあるのです。

自分自身の手を胸に当て冷静に熟考して考えて出した判断で、他人の評価が低過ぎると感じたら「他人の評価が間違っている」と判断しても良いと思います。

もちろん、時にはそれが「過信」であることもあるかもしれません。

常に公平な目で自分自身に問うことで、過信だと気付いたらその時に評価を正せば良いだけの話です。

自信を持って、がんばってください。応援しています。