今の時代を考える

えーとですね、扉ページで未完成のまま放置していたところがありましてですね。

それが上記画像の項目「1.今の時代を考える」でした。

早いとこ書かなくっちゃーなぁーと思いつつ、時が過ぎ去ってしまいまして。

なんと本日2019年12月11日となってしまいました。

ただしこの内容につきましてはですね、既に電子書籍に書いた内容とカブるところがあります。

それも一カ所ではなく二~三回は書いていると思います。

今回はその中の無料版のものにリンクを貼らせて頂くことにしました。

この電子書籍だと無料で読めますので、良いかなと。

【簡略版】ニート・引きこもりで悩む皆さんへ

内容はニートや引きこもりで悩む皆さんに向けて書いたものですが、そもそも何でこんなにそういう皆さんがたくさんおられるのかと言いますと「今、これからの時代に対して日本全体の対応が非常に遅れている」ことが、その原因であると私は考えておりますので。

簡略版ですが、そこら辺の話には触れています。

この話にご興味のある方は、よろしくお願い致しますm(_ _)m

今の日本を考える

今の日本を考えて一言で言うとですね。

残念ながら「ヤバい」とか「お先真っ暗」とか、そういうことしか出て来ないんですよね。

何でかと言いますとですね

「これまで日本及び日本人の美徳をされてきたことが全部、裏目に出るのがわかっているから」

です。それともう一つ

「そのことに気付いていて、何とかせねばと思っている人もまた非常に少ない」

っていうのもあります。

何で今まで日本人の美徳とされていたことが裏目に出るのか?

それは「所謂IT革命により個人でも十分戦える時代になったのに、逆にそれに対応しにくい」からです。

今これからの時代は、アメリカ人や中国人のように「他人をあまり信用しない代わりに個人でがんばる」気質を持つ国民の方が有利でしょう。

ここら辺の話について、詳しくは本サイトの『前編)日本はヤバい。相当ヤバい。でも、皆あんまり気付いていないのは何で?!』をご参照ください。

そして何故、我々日本人は「それに対応しにくい」のか?

それは「災害が多い日本列島に生きる我々の国民性によるもの」故にです。

日本は昔から災害が非常に多かったからこそ皆で協力して復興する必要があり、それにより他者を信頼し集団で戦う力を付けることができました。

日本人のこの性質は、以前の大量生産大量消費時代には労働者として、良い方に作用していたのですが。

ここら辺の話について、詳しくは本サイトの『後編)日本はヤバい。相当ヤバい。でも、皆あんまり気付いていないのは何で?!』をご参照ください。

そしてさらに言えば、日本人は労働の際には他人を「信用」する力を発揮することができますが、これが投資になると全然できないということもこれからの時代にとっては逆風となります。

というのも、既にいろいろな物やサービスが充足されている状態で、そこから世の中が発展していくためにはものすごく優秀な人しか貢献できなくなるわけですが。

そういうものすごい優秀な人に大活躍してもらうためには、むしろ足手まといの状態になってしまう人に職場から去ってもらう必要があるのです。残念ですが。

足でまといになってしまう人については「そういう優秀な人をたくさん抱えている会社に投資」することで生産活動に貢献せねばなりません。

(ひどい書き方ですが、既にアメリカの「Netflix(ネットフリックス)」という会社で、仕事ができない人を大量に解雇すると非常にパフォーマンスが上がったそうです。詳しくはビジネスジャーナルの以下の記事をご覧ください。

「仕事ができない人」を全員クビにしたNetflixで起きた、驚きの結果』)

ところがこの「投資」ができる人が日本にはまだまだ少ないのです。

何故かと言いますと「江戸時代に石高制という一部米本位制とも言える制度があり、国民の約85%(武士と農民)がその影響下にあった」からです。

ただしその同じ江戸時代であっても商人は早くから貨幣経済による金銀複本位制に適応し、信用取引を行っていました。

なんと、実は「世界初の先物市場」は「大阪の堂島米市場」だそうです。

ここら辺の話についての詳細は本サイトの『後編)格差はあって当たり前。むしろ、ちょっと前までが例外だった?!』をご覧ください。

何故(一部)米本位制、つまりお米がお金のような役割をしていると、信用取引が発達しないのか?

理由は単純な話で「お米は農家の人が働いて生産しなければ、増やせない」ものですよね。

もちろん売ってくれる人がいたら買って増やすことはできますけど、基本的に農村部では農民が働いてお米を作って、それを年貢として納めているわけです。

お米の生産量を増やしたいと思ったら、開墾して農地を増やしてそこで働く時間を増やす(か、または非常にてきぱき動いて単位時間当たりの作業量を増やす)しかありません。

そうやって「投資を避け、たくさん働くことで何とかしよう」と多くの日本人が考えてそのように行動することで、さらなる負のスパイラルに突入しているわけです。

ただし、働くことで何とかできる余地もあります。

それは「嗜好品」の分野をもっと開拓し、そこを労働の主戦場とすることです。

実際の話、その「嗜好品」の分野が上手く行っている国もありますし。

その国はスイスです。スイスは日本と同じく勤勉で決済時の現金比率が高いという共通点もあります。

ここら辺の話の詳細は本サイトの『「○○○よ、お前もか!」と思ってついうっかり書いてしまった話』という記事もご覧ください。

しかし日本と決定的に違うのは、スイスは日本と違って人文科学系の博士や研究者も大事にしていると言う話です。

また、時計師と言われる技師の中には一億円ぐらいの年収がある人がいっぱいいるそうです。

スイスは腕時計のような高級な嗜好品や観光で潤っている国です。

一方の日本では人文科学系の高学歴の研究者で生活に困って自殺する人もいます。

(高級路線の嗜好品を生み出すには、デザインで美術系の美的感覚に優れた人材のみならず、コンセプトを確立する時に哲学に文学や歴史など、そういう人文科学系の知識が必要となります)

そして労働者は皆、低賃金ぐるぐる巻きで困ったことになっています。

投資はできないわ、賃金が高くなる高級な嗜好品の方にも行けないわで、日本はかなりヤバイことになっていると私は思うのですが。

このまま行くと「世界で初めて、勤勉すぎて滅びた国」となってしまうのではないでしょうか?

自分自身を考える

非常に良く知られている諺に孫子の兵法があります。

『敵を知り、己を知らば、百戦危うからず』

(元は「彼を知り己を知れば百戦殆からず」)

「敵」と「己」はいずれも知らねばならないのですが、まず優先されるのは「己」の方ではないでしょうか。

また、その方が効率が良いと思われますし。

というのも「敵」すなわち相手や目的の場合は、変わるものですから。

ここで掲げている一番大きな目的は「幸せになること」ですけれども。

時代の流れや場所が変わると「己」以外の環境が変わってしまいます。

それ故に外的な要因については、その度に学びなおさねばなりません。

しかし「己」は一度知ってしまえば、あまり変わることがありません。

もし自分で著しく成長できるようなことがあって「変わったな」という自覚が芽生えたら、その時にアップデートすれば良いだけの話ですので。

何らかの目的を達成するために「己」を知り、得意なこと好きなことやできることまたはできそうなことから攻めていく。

その例として私は、本サイトの以下の記事を是非読んで頂きたいと思います。

掃除だけで悟りを開いたお釈迦様の弟子、周利槃特(チューラパンタカ)

お釈迦様のお弟子さんの中に周利槃特(チューラパンタカ)というとてつもなく愚かな人がいました。

あまりにも愚かなために普通の修行ができないので、朝から晩までひたすら掃除をしていました。

そしてついに、熱心に掃除をすることで悟りを開くことができました。

周利槃特は悟りを得た後、阿羅漢という尊敬や施しを受けるに相応しい聖者の一人となります。

掃除しかできなくとも、その掃除を徹底的にすることでついには悟りを開くことができた、というお話ですが。

私はもう一つ言いたいことがあります。

それは「周利槃特がブレなかったこと」です。

熱心に掃除をするあまり、掃除がお仕事になって清掃夫になった……わけではないのです。周利槃特は。

しかし私が思うに今の日本は「幸せになるための手段として働いているはずなのに、働くことが目的になってより不幸になっている」ような気がします。

このことを周利槃特で例えると「悟りを開くために掃除をしているのに(悟りを開けず)いつの間にか清掃夫になってしまった」という状態ではないでしょうか?

もちろん「いつの間にかなってしまった」のではない場合は別です。

つまり周利槃特が自らの意思で「どうしても悟りを開くことができないから、清掃夫になろう」と決意したのなら。

この場合は状況を見て判断し、意図的に「敵」を変えていますので。

というわけで、まとめますと以下のようになるかと。

まずは「己」を知ること。

何が得意なのか好きなのかできるのかできそうなのか……。

そして「敵」を知り、外さないこと。

それが「敵」を剋するために必要なことだと私は思います。

で、ここで終わればカッコイイとは思いますけど、これだけでは何なので。

この時に知る「己」ですが、もちろん人それぞれ異なるわけですよこれが。

例えば夫婦二人の世帯で節約しようと思ったら「夫と妻それぞれが自分を知り、お互い相手のことも知った上でかつ相手を尊重してから」節約を始めなければなりません。

一人一人の「この出費は避けられない」というツボは異なるわけです。

つまりこの場合の「己」とは「夫と妻の両方」となるわけです。

ここら辺の小っさい話にもご興味ある方は、本サイトの以下の記事もよろしくお願い致します。

彼を知り己を知れば百戦殆からず。とか言いますけど、最も大事なのは己ですよね