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自分自身を考える

非常に良く知られている諺に孫子の兵法があります。

『敵を知り、己を知らば、百戦危うからず』

(元は「彼を知り己を知れば百戦殆からず」)

「敵」と「己」はいずれも知らねばならないのですが、まず優先されるのは「己」の方ではないでしょうか。

また、その方が効率が良いと思われますし。

というのも「敵」すなわち相手や目的の場合は、変わるものですから。

ここで掲げている一番大きな目的は「幸せになること」ですけれども。

時代の流れや場所が変わると「己」以外の環境が変わってしまいます。

それ故に外的な要因については、その度に学びなおさねばなりません。

しかし「己」は一度知ってしまえば、あまり変わることがありません。

もし自分で著しく成長できるようなことがあって「変わったな」という自覚が芽生えたら、その時にアップデートすれば良いだけの話ですので。

何らかの目的を達成するために「己」を知り、得意なこと好きなことやできることまたはできそうなことから攻めていく。

その例として私は、本サイトの以下の記事を是非読んで頂きたいと思います。

掃除だけで悟りを開いたお釈迦様の弟子、周利槃特(チューラパンタカ)

お釈迦様のお弟子さんの中に周利槃特(チューラパンタカ)というとてつもなく愚かな人がいました。

あまりにも愚かなために普通の修行ができないので、朝から晩までひたすら掃除をしていました。

そしてついに、熱心に掃除をすることで悟りを開くことができました。

周利槃特は悟りを得た後、阿羅漢という尊敬や施しを受けるに相応しい聖者の一人となります。

掃除しかできなくとも、その掃除を徹底的にすることでついには悟りを開くことができた、というお話ですが。

私はもう一つ言いたいことがあります。

それは「周利槃特がブレなかったこと」です。

熱心に掃除をするあまり、掃除がお仕事になって清掃夫になった……わけではないのです。周利槃特は。

しかし私が思うに今の日本は「幸せになるための手段として働いているはずなのに、働くことが目的になってより不幸になっている」ような気がします。

このことを周利槃特で例えると「悟りを開くために掃除をしているのに(悟りを開けず)いつの間にか清掃夫になってしまった」という状態ではないでしょうか?

もちろん「いつの間にかなってしまった」のではない場合は別です。

つまり周利槃特が自らの意思で「どうしても悟りを開くことができないから、清掃夫になろう」と決意したのなら。

この場合は状況を見て判断し、意図的に「敵」を変えていますので。

というわけで、まとめますと以下のようになるかと。

まずは「己」を知ること。

何が得意なのか好きなのかできるのかできそうなのか……。

そして「敵」を知り、外さないこと。

それが「敵」を剋するために必要なことだと私は思います。

で、ここで終わればカッコイイとは思いますけど、これだけでは何なので。

この時に知る「己」ですが、もちろん人それぞれ異なるわけですよこれが。

例えば夫婦二人の世帯で節約しようと思ったら「夫と妻それぞれが自分を知り、お互い相手のことも知った上でかつ相手を尊重してから」節約を始めなければなりません。

一人一人の「この出費は避けられない」というツボは異なるわけです。

つまりこの場合の「己」とは「夫と妻の両方」となるわけです。

ここら辺の小っさい話にもご興味ある方は、本サイトの以下の記事もよろしくお願い致します。

彼を知り己を知れば百戦殆からず。とか言いますけど、最も大事なのは己ですよね

広告記事下

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