『前編)真の「陽キャ」な彼女に出会ってわかった、諺の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」』の続きです。
Aさんの欠点が気になるようになった日
美人で頭の良い「陽キャ」なAさんでしたが、ちょっとお金にルーズなところもありました。
小銭がないからと言って私に借りることがありましたが、その後に私から請求しないと返してもらえません。
少額だから忘れているようで悪気はありませんし、言えばきちんと返してくれますけど。
でも、何回も重なるとちょっとなー。
「これはしんどいなー」とはっきり思ったのは、Aさんと一緒にアメリカへ旅行に行った時でした。
Aさんはアメリカに着いてすぐに風邪を引いて体調を崩しました。
元々計算が苦手なAさんでしたが、頭が痛くて計算できないと言うので、私が先に会計を済ませてAさんの分を後からもらうことにしたのです。
そしたらですね、この時もいちいち私から請求しないと返してくれないんですよ。毎回毎回。
普段はそこまで気にしていなかったのですが、ここではっきりと嫌な気持ちになりました。
Aさんの美点を裏目に感じた日
そしてこの後、元々沖縄が好きで移住したいと言っていたAさんに誘われました。
Aさんは言います。
「一緒に沖縄で新しいお友達をいっぱい作ろう!」
私は正直「えっ?」と思いました。
私にとっては今の友達の方が大事で、今の友達と縁を切ってまで新しい友達は欲しくないと思いました。
さすがは真の「陽キャ」です。どこに行ってもすぐに友達ができるのです。
だから逆に言えば、今現在の友達にはそれほど思い入れはないということなんでしょうね。
その時にAさんは
「でも、ななちゃんは特別な友達だからね。だから一緒に行こうよ!」
と言って誘ってくれました。
その時の私は半分だけ嬉しいと思いましたが、もう半分では「ふーんそうやって人をコントロールするんだーAさんすごいねー」という、どこか冷めた気持ちになっていました。
結局私はこの話を断ります。
そしたらそのすぐ後に阪神大震災が起こりました。
Aさんと過ごした最後の日
Aさんは神戸に住んでいました。
Aさんもご家族の皆さんも無事でしたが、お家はもう一回余震が来たら崩れるだろうという被害を受けていたそうです。
私はAさんに「しばらく私の家に泊めて欲しい」と言われました。
ご家族はお家が崩れてもここに居たいと仰ったらしいのですが、Aさんは「どうしても怖いから、その家に住み続けたくない。家を出たい」と思ったそうです。
私はAさんをしばらくの間、当時住んでいたワンルームの部屋に泊めることにしました。
ここで一つ、書き忘れていたことがあります。
Aさんは当時貯金が500万円ぐらいあったそうです。
前職で貯めたお金ですが、突然体を壊して辞めざるを得なくなったことで「人生には何があるかわからないから、この貯金はそのままにしておこう」と強く決意したのだとか。
いざという時、もしもの時のために。
そして私の方はと言いますと、大変にお恥ずかしい話ですが、その当時は30万円にも届かないくらいの貯蓄額しかありませんでした。
さらにこれまた大変にお恥ずかしい話ですが、別の「陽キャ」の友達に誘われて買った補正下着のローンを抱えていました。
その金額と相殺すると、実際の貯蓄額は5万円以下となってしまうという状態でした。
何でこの話を持ち出したかと言いますとですね。
この時のAさんは、一切自分の財布を出そうとしなかったのです。
梅田で待ち合わせをしてから、私の自宅へ向かうまでの交通費。
その日の晩御飯は自宅近くの飲食店でしたが、その時の支払い。
まぁ、そんなに高いお店ではありませんでしたけども。
(いや、初めから払ってあげるつもりでしたよ? 被災者ですし。でも、一瞬たりとも自分の財布を出そうとしないのは、ちょっと……てなりませんか?)
この時はまだ、地震で避難する人だから仕方ないと思っていました。
でも「ちょっとしんどいなぁー。今は仕方がないけど、いずれ友達やめよう」と、こっそり思っていました。
晩御飯が終わって自宅に帰る道中の話です。
その時が来ました。突然に。
時は来た!(何の?)
ここで一つ、書き忘れではなく意図的に書いていなかったことを書きます。
真の「陽キャ」なAさんを象徴する、最もすごいところです。
- 喫煙者なのにライターを持ったことがない
まじですよ? すごくないですか?
煙草を吸う時には、周りの人に声をかけて火を借りるんですよ。毎回毎回。
コミュニケーション能力が非常に高いので、それができるんですよ。毎回毎回。
しかし私には、煙草を吸う習慣がありませんでした。
そこで私にライターを借りようとするのですが、当然ながら持っていません。
なのに、聞くんですよ。毎回毎回。
Aさんとの付き合いは一年半~二年弱ぐらいだったと思うのですが、その間一切自分でライターを持とうとはしませんでした。
そして私が持っていないから断ると、以下のように答えていました。
「あっ、そうそう。そやったね。私が仲良くなってつるむ友達で煙草吸わないのはななちゃんが初めてだから、うっかりしてたわ」
で、元の話に戻りまして、晩御飯が終わって自宅に帰る途中の話です。
いつものように火を借りようとしたAさんに断りました。
そしたらAさんは、落胆しため息をついて言いました。
「ああ、そやったね。しゃーない、我慢するわ」
この時です。もう今回限りで友達やめようと思ったのは。
Aさんはこんな言い方をする人ではありませんでしたが、地震があっていろいろ大変な思いをしたからつい、油断したのでしょうね。
そして私は思ったのです。これがAさんの本音だったのかと。
「はぁ?! 何それ?! ライター持ってへん私が悪いんかぁ?!
あのね、ライターぐらい持っときなさいよ。煙草吸うのはAさんでしょ?!」
そうしたら、それまで仕方がないと思っていたお金のことが急に腹立たしくなってきました。
「もしもの時って、まさに今ちゃうんかい!」
とか思って、自分の財布すら出そうとしないところが許せなくなりました。
ですが、今まで一緒に居て楽しかったしお世話にもなったし、また、頭の良い人だから一緒に居て本当に勉強にもなったし、さらに言えば地震の被害者だし気の毒なことに間違いはないので、とにかく今回は最後に、できるだけのことはしてあげようと思いました。
で、この後ですが、その夜にAさんが「やっぱりお母さんが心配だから帰る」と言い出しました。
次の日にAさんは帰っていきました。
この後に私は引っ越しをしましたが、新しい住所はAさんには伝えませんでした。
そして、ようやく結論です
というわけで、ここでやっとタイトルの諺「過ぎたるは猶及ばざるが如し」です。
「陽キャ」も行き過ぎると問題が出てきます。
友達ができるのは「当たり前」で、誰かに何かしてもらうのは「当たり前」。
すると、もしも何もしてもらえなかったら「不幸」になりませんか?
「当たり前」だと思っていたことを、してもらえなかったわけですから。
自分でするのが「当たり前」だと思っているからこそ、誰かに何かしてもらった時に「ありがたい」「嬉しい」という気持ちになって、その状態になれた時に「幸せ」だと感じますよね。
となると、誰もがなりたいと思う「陽キャ」な人って、実はそんなに幸せな人生ではないような気がしませんか?
見た目が良くて頭も良くてコミュ能力も高くて……かつてはそんな「陽キャ」な人に、私はなりたかったです。
でも、今はなりたいとは思いません。
……いや、なれませんけどね。能力ないですから。