後編)真の「陽キャ」な彼女に出会ってわかった、諺の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

前編)真の「陽キャ」な彼女に出会ってわかった、諺の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」』の続きです。

Aさんの欠点が気になるようになった日

美人で頭の良い「陽キャ」なAさんでしたが、ちょっとお金にルーズなところもありました。

小銭がないからと言って私に借りることがありましたが、その後に私から請求しないと返してもらえません。

少額だから忘れているようで悪気はありませんし、言えばきちんと返してくれますけど。

でも、何回も重なるとちょっとなー。

「これはしんどいなー」とはっきり思ったのは、Aさんと一緒にアメリカへ旅行に行った時でした。

Aさんはアメリカに着いてすぐに風邪を引いて体調を崩しました。

元々計算が苦手なAさんでしたが、頭が痛くて計算できないと言うので、私が先に会計を済ませてAさんの分を後からもらうことにしたのです。

そしたらですね、この時もいちいち私から請求しないと返してくれないんですよ。毎回毎回。

普段はそこまで気にしていなかったのですが、ここではっきりと嫌な気持ちになりました。

Aさんの美点を裏目に感じた日

そしてこの後、元々沖縄が好きで移住したいと言っていたAさんに誘われました。

Aさんは言います。

「一緒に沖縄で新しいお友達をいっぱい作ろう!」

私は正直「えっ?」と思いました。

私にとっては今の友達の方が大事で、今の友達と縁を切ってまで新しい友達は欲しくないと思いました。

さすがは真の「陽キャ」です。どこに行ってもすぐに友達ができるのです。

だから逆に言えば、今現在の友達にはそれほど思い入れはないということなんでしょうね。

その時にAさんは

「でも、ななちゃんは特別な友達だからね。だから一緒に行こうよ!」

と言って誘ってくれました。

その時の私は半分だけ嬉しいと思いましたが、もう半分では「ふーんそうやって人をコントロールするんだーAさんすごいねー」という、どこか冷めた気持ちになっていました。

結局私はこの話を断ります。

そしたらそのすぐ後に阪神大震災が起こりました。

Aさんと過ごした最後の日

Aさんは神戸に住んでいました。

Aさんもご家族の皆さんも無事でしたが、お家はもう一回余震が来たら崩れるだろうという被害を受けていたそうです。

私はAさんに「しばらく私の家に泊めて欲しい」と言われました。

ご家族はお家が崩れてもここに居たいと仰ったらしいのですが、Aさんは「どうしても怖いから、その家に住み続けたくない。家を出たい」と思ったそうです。

私はAさんをしばらくの間、当時住んでいたワンルームの部屋に泊めることにしました。

ここで一つ、書き忘れていたことがあります。

Aさんは当時貯金が500万円ぐらいあったそうです。

前職で貯めたお金ですが、突然体を壊して辞めざるを得なくなったことで「人生には何があるかわからないから、この貯金はそのままにしておこう」と強く決意したのだとか。

いざという時、もしもの時のために。

そして私の方はと言いますと、大変にお恥ずかしい話ですが、その当時は30万円にも届かないくらいの貯蓄額しかありませんでした。

さらにこれまた大変にお恥ずかしい話ですが、別の「陽キャ」の友達に誘われて買った補正下着のローンを抱えていました。

その金額と相殺すると、実際の貯蓄額は5万円以下となってしまうという状態でした。

何でこの話を持ち出したかと言いますとですね。

この時のAさんは、一切自分の財布を出そうとしなかったのです。

梅田で待ち合わせをしてから、私の自宅へ向かうまでの交通費。

その日の晩御飯は自宅近くの飲食店でしたが、その時の支払い。

まぁ、そんなに高いお店ではありませんでしたけども。

(いや、初めから払ってあげるつもりでしたよ? 被災者ですし。でも、一瞬たりとも自分の財布を出そうとしないのは、ちょっと……てなりませんか?)

この時はまだ、地震で避難する人だから仕方ないと思っていました。

でも「ちょっとしんどいなぁー。今は仕方がないけど、いずれ友達やめよう」と、こっそり思っていました。

晩御飯が終わって自宅に帰る道中の話です。

その時が来ました。突然に。

時は来た!(何の?)

ここで一つ、書き忘れではなく意図的に書いていなかったことを書きます。

真の「陽キャ」なAさんを象徴する、最もすごいところです。

  • 喫煙者なのにライターを持ったことがない

まじですよ? すごくないですか?

煙草を吸う時には、周りの人に声をかけて火を借りるんですよ。毎回毎回。

コミュニケーション能力が非常に高いので、それができるんですよ。毎回毎回。

しかし私には、煙草を吸う習慣がありませんでした。

そこで私にライターを借りようとするのですが、当然ながら持っていません。

なのに、聞くんですよ。毎回毎回。

Aさんとの付き合いは一年半~二年弱ぐらいだったと思うのですが、その間一切自分でライターを持とうとはしませんでした。

そして私が持っていないから断ると、以下のように答えていました。

「あっ、そうそう。そやったね。私が仲良くなってつるむ友達で煙草吸わないのはななちゃんが初めてだから、うっかりしてたわ」

で、元の話に戻りまして、晩御飯が終わって自宅に帰る途中の話です。

いつものように火を借りようとしたAさんに断りました。

そしたらAさんは、落胆しため息をついて言いました。

「ああ、そやったね。しゃーない、我慢するわ」

この時です。もう今回限りで友達やめようと思ったのは。

Aさんはこんな言い方をする人ではありませんでしたが、地震があっていろいろ大変な思いをしたからつい、油断したのでしょうね。

そして私は思ったのです。これがAさんの本音だったのかと。

「はぁ?! 何それ?! ライター持ってへん私が悪いんかぁ?!

あのね、ライターぐらい持っときなさいよ。煙草吸うのはAさんでしょ?!」

そうしたら、それまで仕方がないと思っていたお金のことが急に腹立たしくなってきました。

「もしもの時って、まさに今ちゃうんかい!」

とか思って、自分の財布すら出そうとしないところが許せなくなりました。

ですが、今まで一緒に居て楽しかったしお世話にもなったし、また、頭の良い人だから一緒に居て本当に勉強にもなったし、さらに言えば地震の被害者だし気の毒なことに間違いはないので、とにかく今回は最後に、できるだけのことはしてあげようと思いました。

で、この後ですが、その夜にAさんが「やっぱりお母さんが心配だから帰る」と言い出しました。

次の日にAさんは帰っていきました。

この後に私は引っ越しをしましたが、新しい住所はAさんには伝えませんでした。

そして、ようやく結論です

というわけで、ここでやっとタイトルの諺「過ぎたるは猶及ばざるが如し」です。

「陽キャ」も行き過ぎると問題が出てきます。

友達ができるのは「当たり前」で、誰かに何かしてもらうのは「当たり前」。

すると、もしも何もしてもらえなかったら「不幸」になりませんか?

「当たり前」だと思っていたことを、してもらえなかったわけですから。

自分でするのが「当たり前」だと思っているからこそ、誰かに何かしてもらった時に「ありがたい」「嬉しい」という気持ちになって、その状態になれた時に「幸せ」だと感じますよね。

となると、誰もがなりたいと思う「陽キャ」な人って、実はそんなに幸せな人生ではないような気がしませんか?

見た目が良くて頭も良くてコミュ能力も高くて……かつてはそんな「陽キャ」な人に、私はなりたかったです。

でも、今はなりたいとは思いません。

……いや、なれませんけどね。能力ないですから。

前編)真の「陽キャ」な彼女に出会ってわかった、諺の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

前回『陰キャ陽キャでひたすら陽キャを求める今の学生さんって、私の頃と変わっていない?!』の末尾に書いた話の詳細です。

真の「陽キャ」な彼女、Aさんとは?

二十代前半の頃に私は無理して「陽キャ」をがんばっていた時期があったのですが、その時にタイトルに書いた真の「陽キャ」な彼女と出会って仲良くなりました。

ここではその彼女を、仮にAさんとします。

Aさんはまさに絵に描いたような「陽キャ」であり、女性なら誰もが憧れるような人でした。

まず顔ですが、当時テレビドラマに良く出ていた女優の萩尾みどりさんに似ていました。

萩尾みどりさんをもう少し若く華やかにしたような感じの、ものすごい美人です。

そして体型はモデル並みで、スマートで背が高く足が長くてとにかく服が映えました。

それでいて、頭の回転が非常に良くて話が面白いのです。

話の面白い人にありがちな、一方的に喋るばっかりで会話としては楽しくないということもなく。

聞き役に徹する時は徹して、時にさりげなく相手を褒める言葉を散りばめるという。

というわけで、Aさんの周囲はいつもたくさんの人と笑顔が集まってきていました。

そんなAさんと私が出会ったのはとあるバイト先でしたが、Aさんの前の仕事はイベント会社のコンパニオン派遣部門の責任者だったそうです。

その会社はご友人と立ち上げた会社であり、その時の月収は手取りで50万円を下回ったことはなかったそうです。

しかしその分仕事は忙しくて大変だったので、結局Aさんは体を壊して辞めてしまったとか。

だからあんなに会話が上手いのかーと納得しました。

Aさんの欠点と欠点に対する考え方とは?

ここまでAさんの良いところばかり書きましたが、欠点もありまして。

それがお金にちょっとルーズなところでした。

これも前職の収入が原因かーと納得しました(笑)。

ただし、その欠点も最初のうちは「あんなAさんにもこんなところがあるんだー」と思って、むしろ親近感が湧いていました。

そうそう、前回の記事を書いていて今回のことを思い出した理由ですが。

Aさんは決して、人を見下したりバカにしたりということをしませんでした。

悪口のようなことを言うことはあったけど、それは「偶然やうっかりなどではなく悪意を持って誰かに何かされた時」など、これは「やったその人の方に問題があるだろう」という時に限られていました。

その理由を尋ねたら、Aさんは以下のように答えました。

「どんな人にも何か良いところがあるはずで、それが今の私には見えていないだけだと思うから。

もしかすると後になって、その人のその能力のお世話になる時が来るかもしれない。

出会った時に欠点が目に付いても、それはたまたま先に欠点から気付いてしまっただけ。

だから、先に気付いたというだけでそのことをどうこう言うのは、やめておいた方が良いと思う」

という話でした。

これこそがまさに、真の「陽キャ」の姿なんですよ。

だから決して誰かを見下したりバカにしたり、ましてや自分が「陽キャ」な気分を味わいたいがためにいじめたり、そんなことはしないしする必要もないのです。

また、それ故に「組織の長となって、配下にいる人の良いところに気付いてその能力を存分に引き出す」ということができるわけです。

Aさんのかつてのお仕事が、イベント会社のコンパニオン派遣部門の責任者だったというのも納得です。

と、ここまでだと、タイトルの諺「過ぎたるは猶及ばざるが如し」が全然出て来ないのですが。

ここからが長くなりますので、今回はここまでとします。

次回の後編もよろしくお願い致します。

陰キャ陽キャでひたすら陽キャを求める今の学生さんって、私の頃と変わっていない?!

今回は「陰キャ」「陽キャ」と日本人の性質について考えてみました。

「陰キャ」「陽キャ」という用語について

近年「陰キャ」「陽キャ」という用語が若者の間で流行っていることにようやく気付いた鈍い私ですが。

気になって調べてみると、どちらかと言えば良く使われるのは「陰キャ」の方みたいでしたね。

「陰キャ」とは、「陰気なキャラクター」を省略した「陰キャラ」という用語をさらに略したものでした。

ここまでであんまり良い意味ではなさそうですが、もうちょっと調べてみるとですね。

「スクールカーストでは下位」とか「いじめの対象にもなりうる」とか、ウィキペディアに書かれていました。

えーと、ひどいですねぇー。

ただしこれは私の学生時代にも当てはまりますけど。

あの頃は「ネクラ(根暗)」「ネアカ(根明)」言うてましたねー。

あれからもうかなりの時間が経ったのに、まだこんな感じなんですかね?

私、今の若い人は賢いと思っていましたが、分野にもよるということですか。

ま、教えている側に私ら世代も大勢混じっているからなぁー。

これからは「陰キャ」も活躍できる時代

何が言いたいのかと言いますとですね。

今は「陰キャ」でも十分やっていけます。

というか、むしろ「陰キャ」を活かせる人が圧倒的に足りないと思います。

何故なら「陰キャは悪」だという考え方が、長く世の中を支配していたからです。

詳細はいずれ書いていこうと思いますが、かつてこれは概ね正しい考え方でした。

しかし、今は違います。

来てますよ。「陰キャ」の時代が。

私は筋金入りの「陰キャ」ですが、二十代前半の頃に一念発起して「陽キャ」をがんばったことがあります。

やればできるもんですよまじで。

(「陰キャだけど、どうしても陽キャになりたい」という方のために、その方法も後日書いておこうと思います)

日本人は「陰キャ」か「陽キャ」か?

っていうかねー、そもそもが。

日本人の性質って世界的に見れば、ほとんどが「陰キャ」やないですか。

イタリア人とかアメリカ人とか、ヤツラに「陽キャ」で勝てるとでも?

と、こう書くとですね。

「それは特に陽気な人達だから」

てな感じの返しが予想されますけど。

ま、確かにそれは言えますか。

それでは、全然別の角度から話をしましょう。

日本って金よりも銀を好む国民性が昔からあって、以前は「プラチナの値段が相対的に高い」と言われていました。

(余談ですが、近年プラチナは全体的に安くなっています。宝飾品用よりも自動車触媒用の需要が落ちているのが原因だそうです)

また、幕末に金の流出が起りますが、これは日本の銀のレートが当時の世界のものより高かったことに起因します。

さらに余談ですが、この原因を調べていくと結構深い話に辿り着きました。

当時の江戸幕府は「幕府が認めるからこそ、この価値がある」という、今の不換紙幣的な考えで小判などを流通させていたわけです。

それに対して当時の世界では「一定のレートで金と交換できる」という兌換紙幣の考え方で、通貨は金という希少金属の裏付けのあるものという認識だったのです。

それ故に「通貨としての小判そのもの」と「小判に含有する金の量」との話がごっちゃになって、その結果、金の流出に繋がったと)

それともう一つ、日本には「いぶし銀」という褒め言葉があります。

意味は「派手ではないけど実力がある」という良いもので、逆に「実力があるのにアピールできない愚か者」という悪い意味で使われることはまずありません。

また、日本では謙虚さが美徳の一つであり、実力があってもそれを積極的にアピールする人は嫌われます(最近は昔ほどではないと思いますが)。

って、あまりにも別の角度過ぎましたか?

というわけで、何が言いたいのかと言いますとですね。

どっちかといえば日本人て、ほとんど全員「陰キャ」ではないかと。

だけど「陽キャ」には憧れていて、だから自分よりも「陰キャ」な人を見つけていじめることで、その人よりは「陽キャ」だという気分を味わいたいだけ……という人もかなり混じっているのではないかと。

もちろんたまに真の「陽キャ」がいますけど、そういう人はそもそもそんなことをする必要がありません。

しかしそんな人は稀で、なかなかいないとは思いますけどね。

そうそう、この文章を書いていて思い出したのですが。

かつて真の「陽キャ」な人と出会って、一時期非常に仲良くなったことがありました。

それは、上記で書いた二十代前半の頃の話で、一念発起して「陽キャ」をがんばってた時でした。

そして私が「陽キャ」をがんばるのをやめたのも、真の「陽キャ」な彼女が一因です。

長くなりましたので、本日はここまでとします。

やっぱし仕事でも家庭内でも認めてもらうには実績ですか

今回はこのブログの内容とは直接関係のない話です。
ちと愚痴が入るかもですが、よろしくお願い致します。

何故、私の主張がほとんど認められないのか?

はじめましてのごあいさつでも少し触れましたが、私と夫で意見が合わない時が多々ありまして。

そういう時はほとんど私が折れています。

それでも、ここぞと思う時には強硬に主張し、夫が折れることもありますけど。

ただしこれはここ2~3年の話であり、その前には私の主張は全然と言っても良いぐらい認められることはありませんでした。

何故なら、私は仕事ができなくて稼げないからです。

一方の夫ですが、仕事そのものはできる方ではあります。

ただ体が無茶苦茶弱いので若い時から無理が効かず、そんなに出世している方ではありませんけども。

私は家事労働を含めたあらゆる労働に向いていませんので、夫は結婚当初からかなり私をバカにしていました。

それが変わって、少しだけですが認められることも出てきたのは、投資で成功して資産を増やしたことがきっかけです。

……やっぱ、金かい!

きっかけは政権交代

2012年末から為替が円安になり、株価はほぼ一本調子で上昇を開始しました。

自民党に政権交代することで始まった、所謂アベノミクスです。

そういう時にはですね、銘柄を特に選ばずとも日経平均やTOPIXのETFを全力買いするだけでもかなりの利益が出ました。

その時の私は大手百貨店などの小売店などにも投資していたので、かなりの利益を叩き出すことができたのです。

この時の私は一般ユーザー相手の電話のオペレーターをやっていたのですが、何となくですが通勤途中や職場の空気が明るくなったような気がしました。

で、相場の雰囲気も明るくなって、何だか前とは明らかに風向きが変わったような気がしていたのです。

これは上がるしかない、とは思ったのですが。

何せ、家でも職場でもダメダメ言われ続けた私の考えですから。

ただまぁ、労働の方はダメダメ人間だった私ですが、投資歴は夫よりも長くて徐々に結果も出てくるようになっていたのですが。

あの時「それはそれ、これはこれ」で、分けて考えることができていればなと。

というわけでイマイチ自信が持てなかったので、全力買いは私だけにしておきました。

夫はそれまで通り、大量に個人向け国債を買っていました。

あの時に夫を説得しなかったことは悔やまれますが、常に自信のない状態だとこういう肝心な時にもそれが出てしまうのだなという教訓となりました。

まとめると、以下の二点

一点目は「実績」について。

人類を二つに分けると、「自分自身」と「自分以外の他人」に分かれます。

そして、自分以外の他人からの評価は「実績のあるなし」によってなされると思っておいた方が良いです。

そうでない場合の方が稀なのだと。

ちなみにアメリカでは、合理主義のカタマリ故に「機会は平等に与えなければならない」的な考えがありまして、日本ほど過去の「実績」を問われることがありません。

例えばAmazonと取引のある業者の中には、間違えたふりをしてわざと違う商品を送りつけるような悪質な業者が混じっています。

日本の業者なら大問題になるところですが、何でそんなことが起るのかと言えば「Amazonは業者のチェックを一切しない」からです。

Amazonの反論は「それは客側が注意すれば良いではないか。業者側の機会は平等にしなければならないし、そうにすることによって客側も良い業者が見つかることだってあるのだから」というものらしいです。

実はチェックする時間や人件費をケチっているだけだと思うのですが、そのことも「不必要な時間や人件費をかけなくても済む」という「合理的では良いではないか」という考えにも沿っていると言えば……えー、沿ってはいますよね。一応。

しかし残念。ここは日本ですから。平等の機会はないと覚悟しなければ。

そしてもう一点が、自分独自の評価を自分自身で持っておくことです。

他人が何と言おうと関係ありません。

最終的な判断は、その他人の判断を受け入れるかどうかを決めた、自分自身にあるのです。

自分自身の手を胸に当て冷静に熟考して考えて出した判断で、他人の評価が低過ぎると感じたら「他人の評価が間違っている」と判断しても良いと思います。

もちろん、時にはそれが「過信」であることもあるかもしれません。

常に公平な目で自分自身に問うことで、過信だと気付いたらその時に評価を正せば良いだけの話です。

自信を持って、がんばってください。応援しています。

タイトルとサブタイトルとURLに込めた思いについて

今回はタイトルとサブタイトルとURLに込めた思いについての話です。
よろしくお願い致します。

タイトル『陰キャ&非正規でも資産2000万円になる方法』について

これは本サイトの『5千円からはじめる節約&投資で1億円へ』に近い名前を考えたものです。

この中で、私がもし独身かつ非正規で働いていたなら選択していた方法について書いたことがありました。

その記事へのリンクと新たな記事を追加しまとめておくことで、何か皆さんのお役に立つことがあればと思ったわけです。

また、はじめましてのごあいさつでも書きましたが「もしも私に子供がいたとして、その子が独身で陰キャ&非正規だった場合のことを考えた」というのもあります。

サブタイトル「勉強すれば、誰でも一打逆転。そして維持(←ココ重要)」について

今までの人生を振り返って考えてみるとですね、意外と大きなチャンスって何回もあったような気がします。

私と同じ年齢で「そんなことはない」と仰る方は、そのチャンスに気付いていなかっただけではないかと。

私自身、後になってから「ああ、あの時は気付かなかったけど、あれは大きなチャンスだった。失敗した」と思ったことがあります。

……それも、何回も(´;ω;`)

チャンスを掴んでものにして、それをずっと維持し続けるということは結構大変なことだと思います。

  1. チャンスが到来したその時に気付く
  2. そのチャンスを確実に掴んで離さない
  3. チャンスを掴んだままずっと維持し続ける

この3つの段階で、最も難しいのは3番目だと私は思います。

後になって「あの時はチャンスだったのに」と思ったら、次回に気を付けたら良いだけです。

「もうあんなチャンスはないだろう」と悔しい思いをしても、意外ともっと大きなチャンスに恵まれたりするものです。

チャンスを掴み損ねた時も同様で、その経験を次回に生かせば良いだけの話ですから、どうということはありません。

しかし3番目の場合は、1番と2番に比べると難しいですよ?

ここで、宝くじを買って多額のお金が当たった場合を例に挙げます。

まず1番と2番ですが、これは「宝くじを買ってきちんと保管しておき、当選番号がわかったら期限内に確認し、当選していれば期限内に交換する」ということができればOKです。

そして多額のお金と交換した後ですが、この3番目が最も大きな問題となるです。

金遣いが荒くなったり身内や知人に騙されたり、経験のない事業をいきなり始めて失敗したなどして破産し、さらにその後そのことで精神を病んだり一家離散するなどして、さらなる不幸に陥る人もいます。

そういう状態になったら、むしろ宝くじが当たる前の方が幸せだったのではないかという話になるわけですよ。

大金持ちで有名な斎藤一人さんはかつて、以下のようなことを仰っていました。

「お金を入れる器の大きさは人それぞれ。

器が小さいままお金持ちになってしまったら、お金をたくさん入れておくことができないから、いずれは失くしてしまう。

だから、先にお金を入れる器を大きくしておく必要がある」

これは要するに、お金を管理する能力のことを指しているのです。

それ故にサブタイトルの後ろに「そして維持(←ココ重要)」と記載しました。

URL「https://incharacter.work/」について

「陰キャ」とは、今はあんまり良い意味で使われている言葉ではありません。

しかし英語で「in character」と言えば、意味は「その人らしく」「その人にぴったり合った」などの概ね良いものとなります。

はじめましてのごあいさつの末尾でも書きましたが、「陰キャ」を活かした生き方をするのか、または「陰キャ」から「陽キャ」に転向するのか。

いずれの生き方を選ぶにせよ、その人が良いと思う生き方で幸せになって欲しいという思いを、このURLにも込めています。

人類は「(広義の)デジタルトランスフォーメーション」により、良い人だけが報われる方向に進んで行きます。

(「(広義の)デジタルトランスフォーメーション」についてご興味ある方はこちらの記事もどうぞ。よろしくお願い致します)

それもその速さは、テクノロジーの進化と共にどんどん加速していくのです。

つまりこの記事を読まれているあなたの幸せが私の幸せとなる日が、いつかは必ず来るということです。

私はそのことを信じているからこそ、この記事を読まれているあなたの幸せを本気で強く願っているのです。

何らかの参考になれば幸いです。どうぞよろしくお願い致します。

はじめましてのごあいさつ

はじめまして。本木ななと申します。

5千円からはじめる節約&投資で1億円へ』というブログを夫のろくとやっています。

私どもには子供はいないのですが、もしも子供がいたとしたらどうしても伝えたいことを書いておこうと思いました。

と、そう思って上記リンク先のブログを始めたのですが、夫のろくと意見が合わないことが多々ありまして。

それともう一つ、お金のことをひたすら考えて記事にしているうちに、今のお金も人々の「信用」の上に成り立っている「概念」であることがわかりました。

「ならば、「お金」とは「概念」を勉強する学問である「哲学」ともかかわりがあるのではないか?」

とか思って調べ始めますと、例えば世界一の高級品の企業グループであるLVMHの本部のあるフランスでは、「哲学」は高校の必修科目であるということなどがわかりました。

その後さらにいろいろ調べて行くうちに、「哲学」の中でも東洋哲学の「陰陽二元論」に興味を持つようになりました。

またここら辺で、巷で流行りの「陰キャ」「陽キャ」は厳密に言えば間違っている上に、今はむしろ「陰キャ」が足りておらず潜在的に求められている時代であることに気付きました。

という経緯が今までにありまして、このブログを開設するに至ります。

あーここまで長かった。

「陰キャ」であることで悩んで、その力を発揮できないのは本当にもったいないことです。


「もったいないおばけ」

その本人がもったいないというだけでは済みません。

その「陰キャ」な彼氏彼女がその力を発揮することで、何かの恩恵を被ったり潤ったりする人はたくさんいます。

より良い商品やサービスが生み出されたり雇用が創出されたり、あるいはその取引先の会社が潤ったり。

そして結局は、いろんな人の税金が徴収されることで、国も潤うことになるのです。

それが全部、最初の最初の段階で躓いて潰れてしまっているのです。

こんなもったいないことがあるでしょうか?

ただしそうは言っても、当の本人が「陰キャは嫌だ」と悩んでいる場合もあるでしょう。

「どうしても陽キャになりたい」と、そう考えている人もたくさんいると思います。

そういう人のために「陽キャになる方法」も合わせて書いておこうと思っています。

あのですね、意外と簡単でしたよ?「陽キャ」になるのは。

むしろ難しいのは、その状態を維持する方です。

根が「陰キャ」であればあるほど、一度「陽キャ」に転向してそれをずっと維持するのは、かなりの努力が必要です。

この辺は「お金持ちになって、それを維持するのが難しい」という話に似ているかもしれません。

元々「陰キャ」な私が「陽キャ」を維持するのは、はっきり言って「お金持ちの状態を維持するのよりもしんどい」ことでした。

なので、ここで私がおすすめするのは「陰キャ」の性質を上手いこと活かして、仕事や人生にも十分に満足して、幸せになって頂く方法です。

今、この文章を読まれている方へ。

どちらの方法を選択しても、あなたが幸せになることを、私は強く望んでおります。

どうぞよろしくお願い致します。