チャンスを知らないうちに逃していることってあるんですよね

私は正社員の経験がありませんし、その能力すらありませんから初めから諦めていたのですが、非正規雇用で働いている人の中には機会があれば正社員になりたいと思っている人もいるかと思います。

そのためにはそれなりの能力が必要ですが、能力はあるのになかなかその機会に恵まれないと思っておられる人へ書いておきたいことがあります。

私自身はずっと非正規でパートで働いておりますが(住宅ローンが終わる前まではフルタイム週5でした)、夫は正社員で働いています。

夫は何回か転職していますが、以前お世話になった会社で人が足りないことがあり、会社から「求人を出す前に、仕事を探していて能力のある人が居たら先に面接したいので紹介して欲しい」と言われたことがありました。

その当時私がお世話になって仲が良かった同僚に、非常に仕事ができる女性がいました。

彼女は以前勤めていた会社で管理職にまでなっていたのですが、不況でその事業部がなくなることになってそのタイミングで失業してしまった、と言っていました。

もちろん彼女は何とかして正社員に戻りたいとも言っていました。そこで私は彼女のことを夫に話しましたら、夫からも会社に伝えてくれることになったのです

しかしタイミングの悪いことに、私はその会社を退社した直後でした。

退社する直前に彼女にメールを出していたのですが、その返信は来ていません。

それまで一緒に働いている時は、メールの返信の間隔は一日すら空いたことはありませんでしたし、私が辞めてもご飯食べに行こうとか言ってくれていたのですが。

とはいえ私も派遣で働いて長いですから、仕事に関係なくなったら「はい、さようなら」という気持ちもわからなくはないです。

私は自分または相手が辞めた場合でもメールが来たら必ず返信するタイプですが、それを他人にまで求めるつもりはありません。

が、こんなに仲良かったのに……と、ちょっとだけショックでした。ですが、もしかしたら体調が悪いなどの何らか事情があるのかもしれません。

そう思って「前職ではお世話になりました」というお礼の内容でメールを送ってみました。もしもこれで返信が返ってきたら、夫の話を伝えるつもりで。

しかしメールは帰ってきません。夫にそのことを話したら、まだ上司に話しただけで何も動いていないとのことだったので、事情を話して取り消してもらいました。

実はこの面接はほとんど形だけのもので、受かるとまず職種と勤務先を限定されたエリア社員になれるところまでは確実視されていました(昔の一般職のような感じ)。

そこから実力のある人は試験を受けて、総合職のような社員になることができるという話だったのです。

つまり面接に行きさえすれば、とりあえず正社員にはなれたはずです。

夫は「その人はそういうことをしているから、前の会社も事業部がなくなる時に失業したのではないか。本当に惜しい人材なら異動して辞めるのを阻止されるはずだ。今回はむしろこういうタイミングだったことで、仕事はできても義理を欠くような人に入社してもらわなくて良かった」と言いました。

「前職のお礼の内容のメールだから、儀礼上そのメールにだけでも返信するべきだ」と夫は言うのです。

というわけでここまでの話でまず書きたかったのは、義理を欠くようなことはしない方が良いということでした。

それともう一つ、常識や思い込みなどに囚われてはいけない、ということも言えます。

彼女は「同じ派遣で働いている私には、そのような話が来るはずがない」と思っていたことでしょう。

そして「万が一そういう話が合った場合には、私自身がその話を引き受ける(から、自分にはやっぱり話は回って来ない)に違いない」とまで考えていたかもしれません。

何故なら、彼女がもし私の立場だったら迷わずそういう行動をするはずだからです。

「正社員になりたいがなれない、派遣で働いている人は皆同じ。それが常識だ」

恐らく彼女は頭からそう思い込んでいたと思います。

まとめると今回の彼女が囚われたものは「常識」で、細かく言えば「同じ派遣に気を遣っても無意味だ」ということと「派遣で働いている人は皆、正社員になりたがっている」という二つの思い込みに囚われていたということになります。

ちなみに私の経験上の話ですが、生まれながらの「陽キャ」の人は仕事上の繋がりがなくなっても変わらず連絡してくる人が多いのではないかと思います。

何故かと言いますと、そういう根っからの「陽キャ」の人はとにかく楽しむことが大好きで、常にたくさんの友達がいました(だから仕事でかかわりがなくなっても一緒にご飯を食べに行くことは楽しいことだと思っているようです)。

それ故にどちらかがお仕事を辞めてもお付き合いは途絶えませんし、ついでに言えば義理を欠くどころか人の悪口も滅多に言いません。

悪口は暗いし楽しくないことだから言わない、というのがその理由だそうです(悪口を言う時は相手の人が悪意をもって何か意地悪なことをしてきた時など、そういった何らかの理由がある時だけでした)。

人と話をするのが好きな根っからの「陽キャ」ではなくとも、別に良いと私は思います。無理はできるだけしない方が良いものです。

しかし人としての義理を欠くようなことはしない方が良いでしょう。今回はそのために知らない間にチャンスを逃していますし、夫が言うように過去に助けてもらえなかったのもそういうところに原因があったのかもしれません。

「私はこんなに仕事ができるのに運が悪い」と彼女は思っているかもしれませんが、悪いのは運じゃないと思いませんか?

今は「人生における幸せの価値観」ですら「分散化」しているという時代です

タイトルに書いたことですが、人生における幸せの価値観が分散化しているということは、要するに「幸せは人それぞれ」ってことです。

それをちょっと勿体ぶって書いてみました(*^^*)

とはいえ「分散化」という用語は、今の時代を考える上での結構大事なキーワードでもあります。

「分散化」が何故大事なキーワードになるのか、気になる方は本サイトの以下の記事もよろしくお願い致します。

インターネットは分散化の起源か元祖か、あるいは本家か家元か?

真の情報リテラシーとは何なのか? あの時、気付くことができれば今頃は・・・・・・

上記リンク先ですが、要するに「インターネットがもたらした「分散化」にいち早く気付いていれば億万長者になれたのに残念」て話ですけど、今からでもちゃんと勉強すればそれに近いチャンスをものにすることができます(だから一緒に勉強しましょ!)。

職場で出会った「陽キャ」なBさん

私はかなり早くから自身が「陰キャ」であることを気付いていましたが、当初はそれを隠すことで対応しようとしていました。

しかしそれでは根本的な問題の解決にはならないと思い、がんばって「陽キャ」に転向しようと決意しました。

この辺りの話は、以前に『私が陰キャの生き方を決意するまで。その経緯』でも書かせて頂いていました。

その「陽キャ」になろうとがんばっていた時、同じ職場に「陽キャ」の友達ができました。

(以前の前編後編に分けて書いた「Aさん」とは別の人です)

ここでは名前を仮にBさんとします。

Bさんと出会った職場はある飲食店でした。

とある大手のチェーン店で私はキッチン、Bさんはホール係でした。

人と話すのが大好きな明るい性格で友達も多く、ダンスが趣味でスポーツが大好きといういかにも「陽キャ」で魅力的な女性でした。

身体を動かすのが好きな女性だけあって、体の線も引き締まっていてキレイでした。

上記Aさんのモデル体型とはまた違う種類の、健康的ではつらつとした美しさでした。

Bさんのような「陽キャ」になるためには?

Bさんのような「陽キャ」になりたいと思った私は、Bさんにいろいろ聞いてみました。

Bさんに聞いた、ストレスなどに悩んだ時のアドバイスは以下です。

  1. まずは悩む原因を解決させるか、軽減させるなどに努める
  2. その後は体を動かすとか、服などの買い物を楽しむなどして忘れる
  3. そうならないように、日頃からストレスなどをためないように心掛ける

ふむふむ、そーなんだー。

で、日頃からストレスをためないようにするには?

B「そうねー。例えば、出勤するのにちょっと余裕を持って身支度するとか」

B「何着て行こうかなーて考えながら、一人ファッションショーをやるとか。楽しいよ」

私「ああ、Bちゃん体型きれいだもんね」

B「そんなことないよ。ななちゃんだって可愛いじゃん。あ、気になるのだったら、私がいつも着ている補正下着を着てみない?」

B「それとあと服飾関係の友達がいて、彼女から買うと可愛い服が卸値で安く買えるから紹介するね?」

私「あ、あ……あの……あ、ありがとう」

というわけで、高価な補正下着と服を買うことになってしまったわけですが。

これはですね、何も商売でやったのではなく、Bさんもその下着と服を着用していたわけですよ。

服の方は当時のブティックや百貨店に置いていたようなもので、確かに正規で買うよりはかなり安くしてもらっていたけど、それでも結構お高めのお品でございました。

で、ある日、お金が厳しいと私が言うとBさんは

「だったらお店のシフトいっぱい入っ(ていっぱい働い)たら?」

て答えるわけですよ。

で、Bさんは本当にそうやって対応していました。

Bさんは元々身体を動かすのが好きだから、そういうのは苦にならないんですよね。

今、この年齢になって思うこと

ここで書きたかったのは、人にはそれぞれの「幸せ」があるということです。

そもそも私は服がそんなに好きではないので、一人ファッションショーをやることは思い付きませんでした。

それどころか出勤前に服を選ぶことは私にとっては単なる苦痛であり、かつそれ自体がストレス要因になってしまうという状態でした。

ある人にとって「幸せ」な行為が、またある人にとっては「苦痛」でしかないという。

そして私は、Bさんには悪いことをしました。

あの時きちんとお断りをすれば良かっただけなのですが、当時の私にはできませんでした。

断るとBさんに嫌われると思ったのがその理由ですが、実際にそのようにしたら受け入れてくれていたかもしれません。

それにもしBさんがそれを受け入れず腹を立てるような人だったら、それがわかった時に友達としてのお付き合いをやめたら良かったのです。

結果から言えばこのことが遠因となって、Bさんとのお付き合いが途絶えました。

それまでにいろいろあったのですが、詳細を書くと長くなるのでそれについては後日とします。

私が陰キャの生き方を決意するまで。その経緯

人生の目的は「幸せに生きること」ですが、その「幸せ」は人それぞれです。

もっと言えば「幸せ」かどうかは、その本人しか判断できないことです。

私は現在「陰キャ」として生きることを選択したおりますが、それまでの経緯をここに書いておこうと思います。

その一、最初は「陰キャ」は嫌だった

以前書いた『陰キャ陽キャでひたすら陽キャを求める今の学生さんって、私の頃と変わっていない?!』でも少し触れたことですが。

私が学生の頃はまだ「陰キャ」「陽キャ」という呼び方はありませんでした。

それに該当するのが「根暗(ネクラ)」「根明(ネアカ)」であり、意味は今の「陰キャ」「陽キャ」と同じです。

やっぱり今と同じように「根明(ネアカ)」が喜ばれて「根暗(ネクラ)」は忌み嫌われていましたね。

ここでは面倒くさいので「陰キャ」「陽キャ」で統一します。

そんな中、どうやら私は「陰キャ」らしいということに気付きます。多分、小学校高学年ぐらいの頃。

その理由は、同級生が面白いとか楽しいと思っていることがよくわからないなど、そういったことが頻発したからでした。

何と言うか、すぐに裏を読もうとして素直に楽しもうとしないんですね。あー性格ひん曲がっとるなぁー。

当初は「まーしょうがないかぁー。表面上だけ合わしとこーかぁー」て感じで流して誤魔化していたのですが。

ある時「何か私だけ人生楽しめていないような気がするなー。これはまずい、何とかしなければ」と、ふと思うようになりました。

そして、一念発起して「陽キャ」になることを決意しました。

その二、がんばって「陽キャ」になってみた

その当時も今も「陰キャ」と思われたら良いことはありません。

それまでの私は「陰キャ」がばれないようにしようという方針だったのですが、それでは根本的な解決にならないと思い「陽キャ」な性格になろうと決意したわけです。

しかし具体的にどうしたら良いのかはよくわからないので、とりあえず「陽キャ」な友達にいろいろ話を聞いてみることから始めました。

この頃は多分、二十歳前ぐらいだったと思います。

当時大学を辞めてフリーターになったこともあって、それを機に「一気に変わろう」と思いました。

って言うても、最初は仲良くなったバイト先の友達とできるだけ飲みに行くようにするとか、そんなところからでしたけど。

それは「陰キャ(実は仮面陽キャ)」だった以前からあんまし変わっていませんで、大学辞めたから頻度が増えたかなぁーぐらいで。

しかしまぁ、それでもやろうと思えばできるもんです。

私は能力も根性もなかったので、仕事はすぐに嫌になってコロコロ変わっておりましたが。

そこで仲良くなった友達とは仕事を辞めても付き合いがあったので、仕事の変わり目に一週間ぐらい間が空いた時に、毎日違う友達と飲みに行っていたということもありました。

ここから具体的に「陽キャ」な生活とは何だろうって考えて、当時の「陽キャ」の友達のアドバイスを取り入れてやってみたのですが、何かが違うと思ってしまいました。

その時の話の詳細は、以下の記事をご覧ください。

今は「人生における幸せの価値観」ですら「分散化」しているという時代です

その三、「陽キャ」への憧れが薄れた日

この後もしばらくは「陽キャ」をがんばっていたのですが。

そんな時、真の「陽キャ」であるAさんと出会いました。

Aさんは天然の真の「陽キャ」で、美しい容貌と社交性やコミュニケーション能力など誰もが羨むあらゆる美点を持っていました。

しかしそれ故に、天然の真の「陽キャ」特有の欠点も持ち合わせていました。

私はその欠点を見て、それまで憧れていた上になりたかった「陽キャ」への魅力をあまり感じなくなりました。

そして同時に、それまでのようにがんばろうとする意欲もなくなったわけです。

Aさんがどんな人だったのかの詳細については、以下の記事をご覧ください。

前編)真の「陽キャ」な彼女に出会ってわかった、諺の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

後編)真の「陽キャ」な彼女に出会ってわかった、諺の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

というわけで、もう「陽キャ」になろうとするのはやめようと決意しました。

そして「陰キャ」で生きて行く決意を固め、その方法を探り出してバリバリ「陰キャ」のおばはんとなって、現在に至っております。

後編)真の「陽キャ」な彼女に出会ってわかった、諺の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

前編)真の「陽キャ」な彼女に出会ってわかった、諺の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」』の続きです。

Aさんの欠点が気になるようになった日

美人で頭の良い「陽キャ」なAさんでしたが、ちょっとお金にルーズなところもありました。

小銭がないからと言って私に借りることがありましたが、その後に私から請求しないと返してもらえません。

少額だから忘れているようで悪気はありませんし、言えばきちんと返してくれますけど。

でも、何回も重なるとちょっとなー。

「これはしんどいなー」とはっきり思ったのは、Aさんと一緒にアメリカへ旅行に行った時でした。

Aさんはアメリカに着いてすぐに風邪を引いて体調を崩しました。

元々計算が苦手なAさんでしたが、頭が痛くて計算できないと言うので、私が先に会計を済ませてAさんの分を後からもらうことにしたのです。

そしたらですね、この時もいちいち私から請求しないと返してくれないんですよ。毎回毎回。

普段はそこまで気にしていなかったのですが、ここではっきりと嫌な気持ちになりました。

Aさんの美点を裏目に感じた日

そしてこの後、元々沖縄が好きで移住したいと言っていたAさんに誘われました。

Aさんは言います。

「一緒に沖縄で新しいお友達をいっぱい作ろう!」

私は正直「えっ?」と思いました。

私にとっては今の友達の方が大事で、今の友達と縁を切ってまで新しい友達は欲しくないと思いました。

さすがは真の「陽キャ」です。どこに行ってもすぐに友達ができるのです。

だから逆に言えば、今現在の友達にはそれほど思い入れはないということなんでしょうね。

その時にAさんは

「でも、ななちゃんは特別な友達だからね。だから一緒に行こうよ!」

と言って誘ってくれました。

その時の私は半分だけ嬉しいと思いましたが、もう半分では「ふーんそうやって人をコントロールするんだーAさんすごいねー」という、どこか冷めた気持ちになっていました。

結局私はこの話を断ります。

そしたらそのすぐ後に阪神大震災が起こりました。

Aさんと過ごした最後の日

Aさんは神戸に住んでいました。

Aさんもご家族の皆さんも無事でしたが、お家はもう一回余震が来たら崩れるだろうという被害を受けていたそうです。

私はAさんに「しばらく私の家に泊めて欲しい」と言われました。

ご家族はお家が崩れてもここに居たいと仰ったらしいのですが、Aさんは「どうしても怖いから、その家に住み続けたくない。家を出たい」と思ったそうです。

私はAさんをしばらくの間、当時住んでいたワンルームの部屋に泊めることにしました。

ここで一つ、書き忘れていたことがあります。

Aさんは当時貯金が500万円ぐらいあったそうです。

前職で貯めたお金ですが、突然体を壊して辞めざるを得なくなったことで「人生には何があるかわからないから、この貯金はそのままにしておこう」と強く決意したのだとか。

いざという時、もしもの時のために。

そして私の方はと言いますと、大変にお恥ずかしい話ですが、その当時は30万円にも届かないくらいの貯蓄額しかありませんでした。

さらにこれまた大変にお恥ずかしい話ですが、別の「陽キャ」の友達に誘われて買った補正下着のローンを抱えていました。

その金額と相殺すると、実際の貯蓄額は5万円以下となってしまうという状態でした。

何でこの話を持ち出したかと言いますとですね。

この時のAさんは、一切自分の財布を出そうとしなかったのです。

梅田で待ち合わせをしてから、私の自宅へ向かうまでの交通費。

その日の晩御飯は自宅近くの飲食店でしたが、その時の支払い。

まぁ、そんなに高いお店ではありませんでしたけども。

(いや、初めから払ってあげるつもりでしたよ? 被災者ですし。でも、一瞬たりとも自分の財布を出そうとしないのは、ちょっと……てなりませんか?)

この時はまだ、地震で避難する人だから仕方ないと思っていました。

でも「ちょっとしんどいなぁー。今は仕方がないけど、いずれ友達やめよう」と、こっそり思っていました。

晩御飯が終わって自宅に帰る道中の話です。

その時が来ました。突然に。

時は来た!(何の?)

ここで一つ、書き忘れではなく意図的に書いていなかったことを書きます。

真の「陽キャ」なAさんを象徴する、最もすごいところです。

  • 喫煙者なのにライターを持ったことがない

まじですよ? すごくないですか?

煙草を吸う時には、周りの人に声をかけて火を借りるんですよ。毎回毎回。

コミュニケーション能力が非常に高いので、それができるんですよ。毎回毎回。

しかし私には、煙草を吸う習慣がありませんでした。

そこで私にライターを借りようとするのですが、当然ながら持っていません。

なのに、聞くんですよ。毎回毎回。

Aさんとの付き合いは一年半~二年弱ぐらいだったと思うのですが、その間一切自分でライターを持とうとはしませんでした。

そして私が持っていないから断ると、以下のように答えていました。

「あっ、そうそう。そやったね。私が仲良くなってつるむ友達で煙草吸わないのはななちゃんが初めてだから、うっかりしてたわ」

で、元の話に戻りまして、晩御飯が終わって自宅に帰る途中の話です。

いつものように火を借りようとしたAさんに断りました。

そしたらAさんは、落胆しため息をついて言いました。

「ああ、そやったね。しゃーない、我慢するわ」

この時です。もう今回限りで友達やめようと思ったのは。

Aさんはこんな言い方をする人ではありませんでしたが、地震があっていろいろ大変な思いをしたからつい、油断したのでしょうね。

そして私は思ったのです。これがAさんの本音だったのかと。

「はぁ?! 何それ?! ライター持ってへん私が悪いんかぁ?!

あのね、ライターぐらい持っときなさいよ。煙草吸うのはAさんでしょ?!」

そうしたら、それまで仕方がないと思っていたお金のことが急に腹立たしくなってきました。

「もしもの時って、まさに今ちゃうんかい!」

とか思って、自分の財布すら出そうとしないところが許せなくなりました。

ですが、今まで一緒に居て楽しかったしお世話にもなったし、また、頭の良い人だから一緒に居て本当に勉強にもなったし、さらに言えば地震の被害者だし気の毒なことに間違いはないので、とにかく今回は最後に、できるだけのことはしてあげようと思いました。

で、この後ですが、その夜にAさんが「やっぱりお母さんが心配だから帰る」と言い出しました。

次の日にAさんは帰っていきました。

この後に私は引っ越しをしましたが、新しい住所はAさんには伝えませんでした。

そして、ようやく結論です

というわけで、ここでやっとタイトルの諺「過ぎたるは猶及ばざるが如し」です。

「陽キャ」も行き過ぎると問題が出てきます。

友達ができるのは「当たり前」で、誰かに何かしてもらうのは「当たり前」。

すると、もしも何もしてもらえなかったら「不幸」になりませんか?

「当たり前」だと思っていたことを、してもらえなかったわけですから。

自分でするのが「当たり前」だと思っているからこそ、誰かに何かしてもらった時に「ありがたい」「嬉しい」という気持ちになって、その状態になれた時に「幸せ」だと感じますよね。

となると、誰もがなりたいと思う「陽キャ」な人って、実はそんなに幸せな人生ではないような気がしませんか?

見た目が良くて頭も良くてコミュ能力も高くて……かつてはそんな「陽キャ」な人に、私はなりたかったです。

でも、今はなりたいとは思いません。

……いや、なれませんけどね。能力ないですから。

前編)真の「陽キャ」な彼女に出会ってわかった、諺の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

前回『陰キャ陽キャでひたすら陽キャを求める今の学生さんって、私の頃と変わっていない?!』の末尾に書いた話の詳細です。

真の「陽キャ」な彼女、Aさんとは?

二十代前半の頃に私は無理して「陽キャ」をがんばっていた時期があったのですが、その時にタイトルに書いた真の「陽キャ」な彼女と出会って仲良くなりました。

ここではその彼女を、仮にAさんとします。

Aさんはまさに絵に描いたような「陽キャ」であり、女性なら誰もが憧れるような人でした。

まず顔ですが、当時テレビドラマに良く出ていた女優の萩尾みどりさんに似ていました。

萩尾みどりさんをもう少し若く華やかにしたような感じの、ものすごい美人です。

そして体型はモデル並みで、スマートで背が高く足が長くてとにかく服が映えました。

それでいて、頭の回転が非常に良くて話が面白いのです。

話の面白い人にありがちな、一方的に喋るばっかりで会話としては楽しくないということもなく。

聞き役に徹する時は徹して、時にさりげなく相手を褒める言葉を散りばめるという。

というわけで、Aさんの周囲はいつもたくさんの人と笑顔が集まってきていました。

そんなAさんと私が出会ったのはとあるバイト先でしたが、Aさんの前の仕事はイベント会社のコンパニオン派遣部門の責任者だったそうです。

その会社はご友人と立ち上げた会社であり、その時の月収は手取りで50万円を下回ったことはなかったそうです。

しかしその分仕事は忙しくて大変だったので、結局Aさんは体を壊して辞めてしまったとか。

だからあんなに会話が上手いのかーと納得しました。

Aさんの欠点と欠点に対する考え方とは?

ここまでAさんの良いところばかり書きましたが、欠点もありまして。

それがお金にちょっとルーズなところでした。

これも前職の収入が原因かーと納得しました(笑)。

ただし、その欠点も最初のうちは「あんなAさんにもこんなところがあるんだー」と思って、むしろ親近感が湧いていました。

そうそう、前回の記事を書いていて今回のことを思い出した理由ですが。

Aさんは決して、人を見下したりバカにしたりということをしませんでした。

悪口のようなことを言うことはあったけど、それは「偶然やうっかりなどではなく悪意を持って誰かに何かされた時」など、これは「やったその人の方に問題があるだろう」という時に限られていました。

その理由を尋ねたら、Aさんは以下のように答えました。

「どんな人にも何か良いところがあるはずで、それが今の私には見えていないだけだと思うから。

もしかすると後になって、その人のその能力のお世話になる時が来るかもしれない。

出会った時に欠点が目に付いても、それはたまたま先に欠点から気付いてしまっただけ。

だから、先に気付いたというだけでそのことをどうこう言うのは、やめておいた方が良いと思う」

という話でした。

これこそがまさに、真の「陽キャ」の姿なんですよ。

だから決して誰かを見下したりバカにしたり、ましてや自分が「陽キャ」な気分を味わいたいがためにいじめたり、そんなことはしないしする必要もないのです。

また、それ故に「組織の長となって、配下にいる人の良いところに気付いてその能力を存分に引き出す」ということができるわけです。

Aさんのかつてのお仕事が、イベント会社のコンパニオン派遣部門の責任者だったというのも納得です。

と、ここまでだと、タイトルの諺「過ぎたるは猶及ばざるが如し」が全然出て来ないのですが。

ここからが長くなりますので、今回はここまでとします。

次回の後編もよろしくお願い致します。