人生の目的は「幸せに生きること」ですが、その「幸せ」は人それぞれです。
もっと言えば「幸せ」かどうかは、その本人しか判断できないことです。
私は現在「陰キャ」として生きることを選択したおりますが、それまでの経緯をここに書いておこうと思います。
目次
その一、最初は「陰キャ」は嫌だった
以前書いた『陰キャ陽キャでひたすら陽キャを求める今の学生さんって、私の頃と変わっていない?!』でも少し触れたことですが。
私が学生の頃はまだ「陰キャ」「陽キャ」という呼び方はありませんでした。
それに該当するのが「根暗(ネクラ)」「根明(ネアカ)」であり、意味は今の「陰キャ」「陽キャ」と同じです。
やっぱり今と同じように「根明(ネアカ)」が喜ばれて「根暗(ネクラ)」は忌み嫌われていましたね。
ここでは面倒くさいので「陰キャ」「陽キャ」で統一します。
そんな中、どうやら私は「陰キャ」らしいということに気付きます。多分、小学校高学年ぐらいの頃。
その理由は、同級生が面白いとか楽しいと思っていることがよくわからないなど、そういったことが頻発したからでした。
何と言うか、すぐに裏を読もうとして素直に楽しもうとしないんですね。あー性格ひん曲がっとるなぁー。
当初は「まーしょうがないかぁー。表面上だけ合わしとこーかぁー」て感じで流して誤魔化していたのですが。
ある時「何か私だけ人生楽しめていないような気がするなー。これはまずい、何とかしなければ」と、ふと思うようになりました。
そして、一念発起して「陽キャ」になることを決意しました。
その二、がんばって「陽キャ」になってみた
その当時も今も「陰キャ」と思われたら良いことはありません。
それまでの私は「陰キャ」がばれないようにしようという方針だったのですが、それでは根本的な解決にならないと思い「陽キャ」な性格になろうと決意したわけです。
しかし具体的にどうしたら良いのかはよくわからないので、とりあえず「陽キャ」な友達にいろいろ話を聞いてみることから始めました。
この頃は多分、二十歳前ぐらいだったと思います。
当時大学を辞めてフリーターになったこともあって、それを機に「一気に変わろう」と思いました。
って言うても、最初は仲良くなったバイト先の友達とできるだけ飲みに行くようにするとか、そんなところからでしたけど。
それは「陰キャ(実は仮面陽キャ)」だった以前からあんまし変わっていませんで、大学辞めたから頻度が増えたかなぁーぐらいで。
しかしまぁ、それでもやろうと思えばできるもんです。
私は能力も根性もなかったので、仕事はすぐに嫌になってコロコロ変わっておりましたが。
そこで仲良くなった友達とは仕事を辞めても付き合いがあったので、仕事の変わり目に一週間ぐらい間が空いた時に、毎日違う友達と飲みに行っていたということもありました。
ここから具体的に「陽キャ」な生活とは何だろうって考えて、当時の「陽キャ」の友達のアドバイスを取り入れてやってみたのですが、何かが違うと思ってしまいました。
その時の話の詳細は、以下の記事をご覧ください。
『今は「人生における幸せの価値観」ですら「分散化」しているという時代です』
その三、「陽キャ」への憧れが薄れた日
この後もしばらくは「陽キャ」をがんばっていたのですが。
そんな時、真の「陽キャ」であるAさんと出会いました。
Aさんは天然の真の「陽キャ」で、美しい容貌と社交性やコミュニケーション能力など誰もが羨むあらゆる美点を持っていました。
しかしそれ故に、天然の真の「陽キャ」特有の欠点も持ち合わせていました。
私はその欠点を見て、それまで憧れていた上になりたかった「陽キャ」への魅力をあまり感じなくなりました。
そして同時に、それまでのようにがんばろうとする意欲もなくなったわけです。
Aさんがどんな人だったのかの詳細については、以下の記事をご覧ください。
『前編)真の「陽キャ」な彼女に出会ってわかった、諺の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」』
『後編)真の「陽キャ」な彼女に出会ってわかった、諺の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」』
というわけで、もう「陽キャ」になろうとするのはやめようと決意しました。
そして「陰キャ」で生きて行く決意を固め、その方法を探り出してバリバリ「陰キャ」のおばはんとなって、現在に至っております。