第四のオキテ「ほどほどに良い人でかつ良き聞き役を目指そう」の補足

この前書いたばかりの『「陰キャ」のオキテを七つ考えてみました』に、いきなり補足事項ができました。早やっ。

第四のオキテ「ほどほどに良い人でかつ良き聞き役を目指そう」についてです。

まず大事なのは

否定系の言葉をできるだけ遣わない

ということです。

例えば、話の相手がある歌手が好きだということがわかったとします。

自分はその歌手を「低音は渋くて魅力的だと思うが、高音はちょっと金切り声っぽくて好きになれない」という印象を持っていたとします。

そして相手から、その歌手をどう思うかと聞かれた場合の答えとして

1.「あの人、低音はそうでもないけど高音は金切り声みたいで聞き苦しいよね」

2.「あの人、特に低音が魅力的だよね。とにかく渋くてカッコイイと思う」

いずれの答えが相手にとって心地良いと思われるでしょうか?

……って、ちょっと極端でしたか。

1番を挙げる人はさすがにいないと思います。

ポイントとしては「どう思うか?」との問いに対して、わざわざ自分が好きになれないところを挙げる必要はない、ということですね。

あとは、好きな方をちょっとだけ過剰に褒めるということと。

そしてこの後「高音はどう思うか?」という問いがあったら、私なら以下のように答えます。

「そうねー、私はどっちかと言えば、やっぱり低音の方が好みかな?

感情的で表現が豊かだとは思うけど、私は低音の安定した歌い方の方が好き」

金切り声のようでちょっと聞き苦しいというのは、裏を返せば「歌詞がそういう悲痛な感情の場合には、それがよりストレートに伝わってきやすい」ということでもあります。

また、そういうのを

「うん、うん、わかる。あるんだよねそういうの。この人はわかってくれる人だなぁー」

と、好ましく感じる人もいます。

というわけで、ここで言いたかったことはですね、もしも自分の好きでないところを問われた場合に嘘を言わないことです。

自分は低音の方が好みというのは、低音に比べると高音は好みではないということであり、嘘をついているわけではありません。

その時の言い方を

  • 高音は好みではない⇒低音の方が好みである

という肯定的な言い方にしているだけです。

それともう一つは

相手の解釈が多少違っていてもまずは同意から入る

ということです。

これ、理系の男子は結構やってしまいがちではないでしょうか?

理系ってやっぱ正確性を求められるので、教育のせいも多少含まれていると私は思います。

例を挙げると以下のような感じです。

A「この前、これこれこういうことがあったよ」

B「あー、私も前にあった。こういうことだよね?」

A「いや、違う! これこれこういうこれこれこういうことだよ!」

B「……(何やねん。8割9割合っとるやないか。それをあんな言い方で否定するなんて)」

ここだけを見るとBさんの方が心が狭いだけのように見えるかもしれないですが、これが会話の常であり毎回こんな感じだったとしたらどうでしょうか?

「気分が悪くなるから、もうこの人と話したくない」

という気持ちになりませんか?

人は誰しも自分を受け入れて欲しい、認めて欲しい願望があるものです。

否定の言葉はそれを拒絶するものなのです。

上記の場合、概ねあっているならば「詳細で違うところだけ後で補足する」という形で付け加えたら良いのです。

A「そうそう。そうなんだよ。そんな感じ。この前の時はそれに加えてこういうこともあって……」

そしてほとんどと言っても良いぐらいに相手の言うことが違う時は

A「あ、そういうこともあるんだ。勉強になるわ。この前はこれこれこういうことやったけど、そういうこともあり得るんだ。気を付けなきゃ」

というような感じで、できるだけ否定の返事を遣わないようにします。

ちなみにろくも昔はこれが酷かったのですが、私がブチ切れて直させました。

後悔はしていませんよ?

何故なら、今のろくのお仕事は営業です。

知らず知らずのうちにお客さんを怒らせて、トラブルになったら大変ですからね。

これがわからない理系の男性は、優秀な人であっても次第に出世コースから外れてしまう、ということもあるかもしれません。

それに対して「自分は間違っていない!」って主張しても、もうどうにもなりませんよね。

ただし普通ではあり得ないほどの正確性を求められるお仕事で、そういうものの言い方を許されるほど優秀な人であれば、例外でしょうけど。

「陰キャ」のオキテを七つ考えてみました

「陰キャ」の七つのオキテです。

というよりも、これは「陰キャ」だけの話ではないと思いますけど。

いや、オクテなのは「陰キャ」だよねとも思いますけど。違うか。

それでは、いきます。

自分以外の誰かの立場を常に意識する

まずはここからです。

もちろん、話しをしている時は話し相手のことを考えます。

声が小さいのを自分の自信がないから仕方がない、とか思わないでください。

できるだけ相手が聞き取りやすい声の大きさやスピードを心掛けましょう。

また、商品を開発するとかどこかの会社に投資をするとか、これらは常にお客さんの立場を考えなければ成功しません。

自分をより大きくみせようとしない、思わない

自分をより大きくより良い人に見せたい他人にそう思われて慕われたい尊敬されたい……そういう気持ちが強ければ強いほど、挙動不審になってしまいがちです。

ちなみに一見「陽キャ」でも、この感情に囚われ過ぎて「人の話を聞かない、覚えていない」「出しゃばり」などと言われ、実は嫌われているという人もいます。

このことと表裏一体の、次のこともまた大事です。

自分に自信を持ち、自己肯定感を高くしよう

まず自己肯定感が低くなると、それを補おうとして結果的に自己顕示欲が高くなることがあり、それが上記1番の行動に繋がる人もいます。

同様にその自己顕示欲が買い物に向かうと、高級品やブランド物の力を借りようとするか、あるいはそこの店員さんにちやほやされたいという気持ちになり、浪費に走る人もいます。

あるいは、低い自己肯定感を誤魔化そうとして、自分より「陰キャ」の人を探して貶める(と、その分自分はましだと思える)ようなことをする人もいます。

これらの問題は自分に自信を持ち、自己肯定感を高くすることで解消されます。

ほどほどに良い人でかつ良き聞き役を目指そう

自分が主役になろうとせず、相手を立てて聞き役に徹してより多くの情報を得られるように心掛けましょう。

(その時の会話で注意することを書いてみました。ご興味ある方はこちら

今は「これからはビッグデータが重要になる」と言われるほどの時代です。

データは人にはわからず優秀なAIしか解析できないものですが、情報ならば人でも分析ができます。

というわけで、とにもかくにも情報は大事なものです。

単独では些細な情報でも、組み合わせると大きな意味を持つとかすごい発見があるとか、そういう可能性もあります。

雑用の仕事やそれに携わる人をバカにしない

先ほどと同じ理由です。

お茶くみなどバカにする人が多い雑用的な仕事でも、そこで重要な情報が得られることもあります。

また、そういう仕事をしている人をバカにしているとその立場の人に嫌われ、その人からの情報が入らなくなります。

さらに、そういう人で皆から好かれて人脈のある人はいるので、その人に嫌われたことで職場で孤立してしまうこともあります。

得られた情報は控えてまとめて考えて書き出す

俗に言う、「情報の取捨選択」に「インプットとアウトプット」です。

この持ち帰った情報を分析してまとめて出力することが大事です。

出力先はブログがおすすめですが、どうしてもできない場合は個人的な日記などでも良いので、やっておきましょう。

また、一見要らない情報でも後になって役立つこともあります。

それらの管理にも注意が必要ですが、情報をもらった先様にも感謝を忘れないようにしましょう。

現在よりも未来のことを常に意識する

現在も大事ですが未来のことも大事です。

ですが今の人は皆、現在のことはあえて意識せずともある程度のことが考えられるようになっていると思います。

「今よりも先」にどうなるかということを考えるのは大事なことですが、実は多くの日本人がこれを苦手としています。

苦手どころか、これができていないことすらわかっていない、という人もたまにいます。

オキテは以上です。ここを読んで頂いた皆さんが、より幸せになりますように。