陰陽二元論で「陰=悪」ではありません。なのに何故日本では「悪」なのか?!

タイトルそのまんまですけど、元々の陰陽二元論では「陰」は「悪」ではないんですね。

あくまでも「陰(マイナス)の運気を帯びている」だけです。

なのに何で日本では、「陰」は「悪」になってしまったのでしょうか?

日本で「陰」が悪とされた、その理由とは?

日本が誇る名優の美輪明宏さんも「世の中は陰と陽、光と闇など二つのもので成り立っているが、皆はその明るい片方だけを望むからうまくいかない」という意味のことを仰っておられます。

美輪さんの挙げた例の中に「人は年を取ると肉体的には衰えていくのでそれを嘆き悲しむ人は多いが、一方で精神的には充実していく。その精神の充実にも目を向けるべきである」というお話があるそうです。

私はこの話を初めて知ったのは職場の同僚からでしたが、聞いた瞬間「さすが美輪さん!」だと思いました。

その後に他の記事を書いている時に調べてみると、確かに中国の陰陽二元論に善悪は含まれておりませんでした。

ただし世界では二元論的な考えや宗教は他にもあって、例えばマニ教やゾロアスター教がこれに該当します。

でも、中国の陰陽二元論では含まれていないんですね(くどいですが)。

ですが、日本の二元論的な考え方では「陰」は「悪」です。何でか?

答えは、以下です。

  • 今までは中央集権的な社会及びシステムだったから

だから組織も大企業が有利で、大量生産・大量消費がこれでもかというぐらいに発達した世の中でした。

現在はこの形が既に時代遅れとなっており、ひたすら水平化が進んでいる真っ最中だったりします。

従来の中央集権型の組織とは?

さて、その従来の中央集権的なシステムですが、これを図に表わすと所謂ピラミッド型になります。

極めて優秀な人が一人頂点に立った形ですが、会社だと代表取締役社長がこの地位に当たります。

日本では昔から稲作が盛んで、できたお米には一部貨幣の役割を担わせる(石高制)こともあったほど、重要視されていました。

そんな大規模な稲作を行うには、一人では無理です。

当時はトラクターや田植え機などの農業機械などありませんので。

そこで農村地帯にも中央集権的な組織ができていたわけです。

詳しくは「くぼたのたんぼ」の以下の記事をご覧ください(農業機械の株式会社クボタ様のWebサイトです)。

『江戸時代 稲作から見た日本の成立』

該当部分を引用させて頂きます。

江戸時代には、農民はほぼ50~60戸で1村落を作りました。村はしだいに行政組織となり、村の有力者を村役人に命じて行政を担わせました。それが名主 (なぬし) ・組頭 (くみがしら) ・百姓代 (ひゃくしょうだい) で、この3つを村方三役といいます。

また「敦賀の歴史」の以下の記事などを拝読致しますと、この中では名主が最も地位が高く組頭と百姓代はその補佐役という立場です。

古代集落

ちなみに名主の上にはお代官様がおられて、その上に領主がいます。

この三役のすぐ下は本百姓で、その下に水のみ百姓がいました。

ここで言いたかったのは、昔はこういった組織で皆で協力して農業をしなければ、効率良くたくさんのお米を収穫することはできなかった、ということです。

しかしこの時代は、村方三役に選ばれるのにも生まれた家柄などが重視されていました。

もうちょっと後の時代では、生まれよりも実力のある人が高い地位につくことができるようになり、より公平な世の中になりました。

ただし何でそうなったかと言えば、競争が激しく家柄などを重視する余裕がなくなったのがその理由です。

無能な創業者のボンボン息子に会社を継がせると会社が潰れたり傾いたりなど、ろくなことになりませんよね。

商売敵の他社は家柄関係なく優秀な人物を高い地位につけ、大きな権限を与えて利益をガンガン出しているとなれば、その会社も同じようにしないと生き残れませんから。

そしたらですね、この会社で言えば代表取締役社長のような地位の人はどういう人が望ましいでしょうか?

頭脳明晰で明るく思い遣りがあって、誰もが「この人に付いていきたい」と思うような素晴らしい人物と言えば……「陽キャ」な人ですよね。

また、一番上の地位でなくても部長や課長など、その部署の長となる人物は「陽キャ」の方が望ましいでしょう。

会社の長とか部門の長のような優秀な「陽キャ」な人間は望ましいものであり、地位も高く収入も高く社会に貢献できる素晴らしい人材です。

それ故に、そのような人になれない生産性の低い「陰キャ」な人物は「悪」だとされていたのです。

今現在こういう時代は終わりを告げていますが、本当の意味で気付いている人はまだまだ少ないのではないでしょうか?

何故分散すると「陰」は「悪」ではなくなるのか?

近年になって中央集権型の組織から分散型へと移行したのは、インターネットを始めとした情報通信技術が発達したからでした。

するとどうなったのかと言いますと、それまでできなかったことができるようになりました。

あるいはやろうと思ったら今まででもできたけど、非常に安くできるようになったとか。

このことで最も有名でわかりやすい例で言えば、ネット通販ですね。

そもそも昔はインターネットがなかったから、ネット通販自体はできませんでした。

また通販は昔からできたけど、例えば電話の通販事業だとたくさんの電話回線を用意しなければなりません。

あるいは通販でなくてリアル店舗だと、店舗を借りて運営するたくさんのお金が必要です。

この“非常に安く”の中には人件費も含まれておりまして、発送処理とかメールで顧客対応とか、自分一人でできることもたくさん増えました。

というわけで、一人でいろいろできるから誰かを雇ったり自分が組織に入ったりなどする必要がなくなり、一人でもやり方次第で十分な生産活動をすることができるのです。

(いや、よっぽど事業が順調に拡大した場合はそんなわけにはいかないですけど。誰か雇わなければ仕事をこなせなくなるほど成功した場合は。また「自分が組織に入る」というのは、例えば業績が好調でどこぞの大企業から出資を受けて傘下に入るとか。これらはむしろ良い例外ですね)

それとあと先ほどの「陽キャ」が望ましいとされた理由にも繋がりますが、インターネットが生まれる以前の情報の遣り取りは、テレビや新聞などの専門の媒体か、人による伝聞によってもたらされるかに限られていました。

すると、人脈の多い「陽キャ」の方がよりたくさんの情報を持っていると言う話にもなります。

つまりインターネットが生まれる前は、起業できるほどの情報は「陽キャ」の人ではないと集めるのが難しい、という状態でもありました。

というわけで「陰キャ」の時代です

「えー、結局は起業ってことじゃないですか。私にはできません」

というお声を頂戴しそうなここまでの話ですが。

確かに起業も一つの方法ですが、それだけではありません。

というか、私は起業していません。

今でもパートのおばちゃんとして、雇われて働いています。

なのに何で「資産2000万円」てタイトルで書いているのか?

資産を形成するのは労働だけではありません。投資もあります。

はっきり言って「陰キャ」は投資に向いています。

目の前のPCやスマホという情報端末で、社会のことや会社のことを勉強する。

今これから人々に必要なものは何なのか?

それに誠実に適切応えられる会社はどこなのか?

その会社に資金を提供することで

「一人でも多く」の「お客さん」に

「できるだけ早く」その「物やサービス」を

お手元に届けるために貢献するのです。

労働で直接生産活動に携わるも良いですが、この方法でも世のため人のために尽くすことができ、その会社が本当に貢献できて会社が成長すれば、その報酬を受け取ることができるのです。

具体的にはどうするのか?

私がやった方法は本サイトの以下のページにまとめました。

非正社員で時間を取られても運用益を得たい方へ。変形インデックス投信他

これは単なる一例に過ぎませんで、人によっては仕事で新たな道を開いて財産を形成でいる人もいると思います。

私の場合は労働にあまりにも適性がなかったために、ほとんど投資にシフトしましたけども。

しかし投資を成功させるためにはかなりの勉強量が必要で、それを嫌がらずにこなせるという利点があり、それは間違いなく仕事をする上で役に立つと思います。

(……というか、損をしたくないVS.勉強しんどいでは明らかに勝負にならないっすよ? やっぱ損だけはしたくないもんです)

陰キャ陽キャの問題に隠された、本当の問題とその対策

今回は「陰キャ」「陽キャ」という若者の間で流行っている用語について、思ったことがありましたので書き足します。

「陰キャ」が印象悪いのは「陰キャ」だからではない?!

以前『陰キャ陽キャでひたすら陽キャを求める今の学生さんって、私の頃と変わっていない?!』でも書きましたが、「陰キャ」については「スクールカーストでは下位」とか「いじめの対象にもなりうる」とか、そういうマイナスなイメージのものが多数検索されてきました。

それで、何でこんなに印象悪いのかともうちょっと調べてみるとですね、例えば「暗い」とか「声が小さいから何をしゃべっているのかわからない(だからイライラする)」とかいう理由が出てきました。

そこで私が思ったのは、結局はこれって「話をする相手に不快な思いをさせている」という話ではないかと。

誰でも明るくて楽しい気持ちになりたいという願望があるから暗い人は避けたいですし、声が小さくて聞き取れないと何度も聞き返さなければならないからしんどいですし。

しかしですね、こういうことは何も「陰キャ」の人についてだけの問題ではありません。

一見「陽キャ」に見える人でも、実は常に相手に不快な思いを抱かせていて、陰口を叩かれているということもあります。

特に女の子に多いパターンですね。

例えば「自分ばっかり喋って相手の話を全然聞いていない」または「前の話を全く覚えていない」とか。

つまり根本的な問題とは「話をする相手に不快な思いをさせている」ことであり、それが「陰キャ」の人の方がより目立ちやすいということなのです。

確かに「陰キャ」が悪いのではないけども

さて、そんな「陰キャ」の人の中には「陰キャ」を脱出したい人もいれば、私が推奨する「陰キャ」のままで良い部分を利用したいという人もいると思います。

しかしどちらを選ぶにせよ、先に書いた「話をする相手に不快な思いをさせている」ことをやめることは必須です。

当然ながらこのことは、一見「陽キャ」でも実は「話をする相手に不快な思いをさせている」ことで嫌われている場合にも当てはまります。

というわけで、この「話をする相手に不快な思いをさせている」のをやめるためには、どうしたら良いのか?

(その前にここで「陰キャ」の特徴をもう少し考えてみます。

「陰キャ」と言われている人の「暗い」とか「声が小さい」とか「おどおどしている」とか、そういう特徴の原因は「自分に自信を持てないこと」にあります。

だから「陰キャ」を脱出するために「自分に自信を持ちましょう」と言う人もいます。

でもね、昔から筋金入りの「陰キャ」の私から言わせてもらえば、それは非常に難しいことですよ?

もちろんその方法でも何の問題もない、足りないのは自信だけという「実力ある陰キャ」も中にはいると思いますし、その人にはそれで突っ走ってもらいましょう。

そうではなかった私がやった方法を書いておきますので、参考になりそうだったら取り入れてみてくださいね)

では、具体的にはどうすれば良いのか?

話を戻します。

「話をする相手に不快な思いをさせている」のをやめるためにどうすれば良いのか、一言で言うと以下のようになります。

 ・相手(自分以外の他人)を主語にする

って、ちょっとわかりにくいですかね?

従来の表現だと「相手の立場に立って物事を考えるようにする」となります。

ただし実は私にとっては、従来のこの考え方の方が難しいものでした。

以前『やっぱし仕事でも家庭内でも認めてもらうには実績ですか』でも少し触れましたが「人類は自分自身と自分以外の他人の二種類」しかありません。

そしてもう一つ「人は誰でも、個人であれ集団であれ、自らの身が一番可愛い」ものです。

例外として、親の子を思い遣る気持ちなどもありますけどね。

「そんなことはわかっている」と言われそうですが、果たしてそうでしょうか?

「暗い」とか「声が小さい」とか「おどおどしている」などの原因である「自信がない」ことの裏返しは「自信がある」ことですが。

それではもし「自信がある」状態になれたら、どうなるのでしょうか?

「陽キャ」になって、周りから一目置かれるようになる、ですか?

それって「自分が主語」じゃないですか?

つまり結局は、周りの人から良く見られたいという「自分」の欲望の方に原因があるのです。

では、他の人からどう思われるかよりも、他の人のことを考えてみましょう。

私からの一番のおすすめは「聞き役に徹する」ことです。

何故なら「人は誰でも、自らの身が一番可愛い」からです。

その人の「聞いて欲しい」と思っている話をとことん聞いてあげる。

そしてそれができるようなったらステップアップして、相手に質問することを考えながら話を聞きます。

もちろんその質問も、相手が「その質問を待ってました」と思うぐらいの質問内容とタイミングを考えて。

そして実際にその質問をしてみましょう。

もし自信がなければ、最初は家族や親しい友人で試してみてください。

これをいろんな人に何回も繰り返しているうちに、いずれは「あの人と会話したい」「あの人に話を聞いてもらいたい」というキャラになります。

こうなったら、誰も「陰キャ」という人はいなくなるでしょうね。

(そしてここまでのことができれば女の子にもモテるし、仕事もデキるという人になれます。

結局は「自分以外の他人」にどこまでできるか、という話なんですよね)

それ以外では「あの人はどういう話を嬉しいと思うだろうか」とか。

そしたら「自分が話したい話題より、相手が喜びそうな話題は何だろう」という話になりますよね?

「暗い印象だと相手に悪いから、せめて背筋を伸ばして姿勢を良くしよう」とか。

「声が小さいと何度も聞き返さなければならないから、相手に悪いな」とか。

できることからこつこつと、やってみましょう。

そしてその時、もしできなくとも「私はダメな人間だ」とか、思わないようにしましょう。

逆に「できた時の自分をほめる」ように、前向きに考えましょう。

何故なら、その前向きの考えは明るさにも繋がってくるからです。

陰キャ陽キャでひたすら陽キャを求める今の学生さんって、私の頃と変わっていない?!

今回は「陰キャ」「陽キャ」と日本人の性質について考えてみました。

「陰キャ」「陽キャ」という用語について

近年「陰キャ」「陽キャ」という用語が若者の間で流行っていることにようやく気付いた鈍い私ですが。

気になって調べてみると、どちらかと言えば良く使われるのは「陰キャ」の方みたいでしたね。

「陰キャ」とは、「陰気なキャラクター」を省略した「陰キャラ」という用語をさらに略したものでした。

ここまでであんまり良い意味ではなさそうですが、もうちょっと調べてみるとですね。

「スクールカーストでは下位」とか「いじめの対象にもなりうる」とか、ウィキペディアに書かれていました。

えーと、ひどいですねぇー。

ただしこれは私の学生時代にも当てはまりますけど。

あの頃は「ネクラ(根暗)」「ネアカ(根明)」言うてましたねー。

あれからもうかなりの時間が経ったのに、まだこんな感じなんですかね?

私、今の若い人は賢いと思っていましたが、分野にもよるということですか。

ま、教えている側に私ら世代も大勢混じっているからなぁー。

これからは「陰キャ」も活躍できる時代

何が言いたいのかと言いますとですね。

今は「陰キャ」でも十分やっていけます。

というか、むしろ「陰キャ」を活かせる人が圧倒的に足りないと思います。

何故なら「陰キャは悪」だという考え方が、長く世の中を支配していたからです。

詳細はいずれ書いていこうと思いますが、かつてこれは概ね正しい考え方でした。

しかし、今は違います。

来てますよ。「陰キャ」の時代が。

私は筋金入りの「陰キャ」ですが、二十代前半の頃に一念発起して「陽キャ」をがんばったことがあります。

やればできるもんですよまじで。

(「陰キャだけど、どうしても陽キャになりたい」という方のために、その方法も後日書いておこうと思います)

日本人は「陰キャ」か「陽キャ」か?

っていうかねー、そもそもが。

日本人の性質って世界的に見れば、ほとんどが「陰キャ」やないですか。

イタリア人とかアメリカ人とか、ヤツラに「陽キャ」で勝てるとでも?

と、こう書くとですね。

「それは特に陽気な人達だから」

てな感じの返しが予想されますけど。

ま、確かにそれは言えますか。

それでは、全然別の角度から話をしましょう。

日本って金よりも銀を好む国民性が昔からあって、以前は「プラチナの値段が相対的に高い」と言われていました。

(余談ですが、近年プラチナは全体的に安くなっています。宝飾品用よりも自動車触媒用の需要が落ちているのが原因だそうです)

また、幕末に金の流出が起りますが、これは日本の銀のレートが当時の世界のものより高かったことに起因します。

さらに余談ですが、この原因を調べていくと結構深い話に辿り着きました。

当時の江戸幕府は「幕府が認めるからこそ、この価値がある」という、今の不換紙幣的な考えで小判などを流通させていたわけです。

それに対して当時の世界では「一定のレートで金と交換できる」という兌換紙幣の考え方で、通貨は金という希少金属の裏付けのあるものという認識だったのです。

それ故に「通貨としての小判そのもの」と「小判に含有する金の量」との話がごっちゃになって、その結果、金の流出に繋がったと)

それともう一つ、日本には「いぶし銀」という褒め言葉があります。

意味は「派手ではないけど実力がある」という良いもので、逆に「実力があるのにアピールできない愚か者」という悪い意味で使われることはまずありません。

また、日本では謙虚さが美徳の一つであり、実力があってもそれを積極的にアピールする人は嫌われます(最近は昔ほどではないと思いますが)。

って、あまりにも別の角度過ぎましたか?

というわけで、何が言いたいのかと言いますとですね。

どっちかといえば日本人て、ほとんど全員「陰キャ」ではないかと。

だけど「陽キャ」には憧れていて、だから自分よりも「陰キャ」な人を見つけていじめることで、その人よりは「陽キャ」だという気分を味わいたいだけ……という人もかなり混じっているのではないかと。

もちろんたまに真の「陽キャ」がいますけど、そういう人はそもそもそんなことをする必要がありません。

しかしそんな人は稀で、なかなかいないとは思いますけどね。

そうそう、この文章を書いていて思い出したのですが。

かつて真の「陽キャ」な人と出会って、一時期非常に仲良くなったことがありました。

それは、上記で書いた二十代前半の頃の話で、一念発起して「陽キャ」をがんばってた時でした。

そして私が「陽キャ」をがんばるのをやめたのも、真の「陽キャ」な彼女が一因です。

長くなりましたので、本日はここまでとします。