今は「人生における幸せの価値観」ですら「分散化」しているという時代です

タイトルに書いたことですが、人生における幸せの価値観が分散化しているということは、要するに「幸せは人それぞれ」ってことです。

それをちょっと勿体ぶって書いてみました(*^^*)

とはいえ「分散化」という用語は、今の時代を考える上での結構大事なキーワードでもあります。

「分散化」が何故大事なキーワードになるのか、気になる方は本サイトの以下の記事もよろしくお願い致します。

インターネットは分散化の起源か元祖か、あるいは本家か家元か?

真の情報リテラシーとは何なのか? あの時、気付くことができれば今頃は・・・・・・

上記リンク先ですが、要するに「インターネットがもたらした「分散化」にいち早く気付いていれば億万長者になれたのに残念」て話ですけど、今からでもちゃんと勉強すればそれに近いチャンスをものにすることができます(だから一緒に勉強しましょ!)。

職場で出会った「陽キャ」なBさん

私はかなり早くから自身が「陰キャ」であることを気付いていましたが、当初はそれを隠すことで対応しようとしていました。

しかしそれでは根本的な問題の解決にはならないと思い、がんばって「陽キャ」に転向しようと決意しました。

この辺りの話は、以前に『私が陰キャの生き方を決意するまで。その経緯』でも書かせて頂いていました。

その「陽キャ」になろうとがんばっていた時、同じ職場に「陽キャ」の友達ができました。

(以前の前編後編に分けて書いた「Aさん」とは別の人です)

ここでは名前を仮にBさんとします。

Bさんと出会った職場はある飲食店でした。

とある大手のチェーン店で私はキッチン、Bさんはホール係でした。

人と話すのが大好きな明るい性格で友達も多く、ダンスが趣味でスポーツが大好きといういかにも「陽キャ」で魅力的な女性でした。

身体を動かすのが好きな女性だけあって、体の線も引き締まっていてキレイでした。

上記Aさんのモデル体型とはまた違う種類の、健康的ではつらつとした美しさでした。

Bさんのような「陽キャ」になるためには?

Bさんのような「陽キャ」になりたいと思った私は、Bさんにいろいろ聞いてみました。

Bさんに聞いた、ストレスなどに悩んだ時のアドバイスは以下です。

  1. まずは悩む原因を解決させるか、軽減させるなどに努める
  2. その後は体を動かすとか、服などの買い物を楽しむなどして忘れる
  3. そうならないように、日頃からストレスなどをためないように心掛ける

ふむふむ、そーなんだー。

で、日頃からストレスをためないようにするには?

B「そうねー。例えば、出勤するのにちょっと余裕を持って身支度するとか」

B「何着て行こうかなーて考えながら、一人ファッションショーをやるとか。楽しいよ」

私「ああ、Bちゃん体型きれいだもんね」

B「そんなことないよ。ななちゃんだって可愛いじゃん。あ、気になるのだったら、私がいつも着ている補正下着を着てみない?」

B「それとあと服飾関係の友達がいて、彼女から買うと可愛い服が卸値で安く買えるから紹介するね?」

私「あ、あ……あの……あ、ありがとう」

というわけで、高価な補正下着と服を買うことになってしまったわけですが。

これはですね、何も商売でやったのではなく、Bさんもその下着と服を着用していたわけですよ。

服の方は当時のブティックや百貨店に置いていたようなもので、確かに正規で買うよりはかなり安くしてもらっていたけど、それでも結構お高めのお品でございました。

で、ある日、お金が厳しいと私が言うとBさんは

「だったらお店のシフトいっぱい入っ(ていっぱい働い)たら?」

て答えるわけですよ。

で、Bさんは本当にそうやって対応していました。

Bさんは元々身体を動かすのが好きだから、そういうのは苦にならないんですよね。

今、この年齢になって思うこと

ここで書きたかったのは、人にはそれぞれの「幸せ」があるということです。

そもそも私は服がそんなに好きではないので、一人ファッションショーをやることは思い付きませんでした。

それどころか出勤前に服を選ぶことは私にとっては単なる苦痛であり、かつそれ自体がストレス要因になってしまうという状態でした。

ある人にとって「幸せ」な行為が、またある人にとっては「苦痛」でしかないという。

そして私は、Bさんには悪いことをしました。

あの時きちんとお断りをすれば良かっただけなのですが、当時の私にはできませんでした。

断るとBさんに嫌われると思ったのがその理由ですが、実際にそのようにしたら受け入れてくれていたかもしれません。

それにもしBさんがそれを受け入れず腹を立てるような人だったら、それがわかった時に友達としてのお付き合いをやめたら良かったのです。

結果から言えばこのことが遠因となって、Bさんとのお付き合いが途絶えました。

それまでにいろいろあったのですが、詳細を書くと長くなるのでそれについては後日とします。

私が陰キャの生き方を決意するまで。その経緯

人生の目的は「幸せに生きること」ですが、その「幸せ」は人それぞれです。

もっと言えば「幸せ」かどうかは、その本人しか判断できないことです。

私は現在「陰キャ」として生きることを選択したおりますが、それまでの経緯をここに書いておこうと思います。

その一、最初は「陰キャ」は嫌だった

以前書いた『陰キャ陽キャでひたすら陽キャを求める今の学生さんって、私の頃と変わっていない?!』でも少し触れたことですが。

私が学生の頃はまだ「陰キャ」「陽キャ」という呼び方はありませんでした。

それに該当するのが「根暗(ネクラ)」「根明(ネアカ)」であり、意味は今の「陰キャ」「陽キャ」と同じです。

やっぱり今と同じように「根明(ネアカ)」が喜ばれて「根暗(ネクラ)」は忌み嫌われていましたね。

ここでは面倒くさいので「陰キャ」「陽キャ」で統一します。

そんな中、どうやら私は「陰キャ」らしいということに気付きます。多分、小学校高学年ぐらいの頃。

その理由は、同級生が面白いとか楽しいと思っていることがよくわからないなど、そういったことが頻発したからでした。

何と言うか、すぐに裏を読もうとして素直に楽しもうとしないんですね。あー性格ひん曲がっとるなぁー。

当初は「まーしょうがないかぁー。表面上だけ合わしとこーかぁー」て感じで流して誤魔化していたのですが。

ある時「何か私だけ人生楽しめていないような気がするなー。これはまずい、何とかしなければ」と、ふと思うようになりました。

そして、一念発起して「陽キャ」になることを決意しました。

その二、がんばって「陽キャ」になってみた

その当時も今も「陰キャ」と思われたら良いことはありません。

それまでの私は「陰キャ」がばれないようにしようという方針だったのですが、それでは根本的な解決にならないと思い「陽キャ」な性格になろうと決意したわけです。

しかし具体的にどうしたら良いのかはよくわからないので、とりあえず「陽キャ」な友達にいろいろ話を聞いてみることから始めました。

この頃は多分、二十歳前ぐらいだったと思います。

当時大学を辞めてフリーターになったこともあって、それを機に「一気に変わろう」と思いました。

って言うても、最初は仲良くなったバイト先の友達とできるだけ飲みに行くようにするとか、そんなところからでしたけど。

それは「陰キャ(実は仮面陽キャ)」だった以前からあんまし変わっていませんで、大学辞めたから頻度が増えたかなぁーぐらいで。

しかしまぁ、それでもやろうと思えばできるもんです。

私は能力も根性もなかったので、仕事はすぐに嫌になってコロコロ変わっておりましたが。

そこで仲良くなった友達とは仕事を辞めても付き合いがあったので、仕事の変わり目に一週間ぐらい間が空いた時に、毎日違う友達と飲みに行っていたということもありました。

ここから具体的に「陽キャ」な生活とは何だろうって考えて、当時の「陽キャ」の友達のアドバイスを取り入れてやってみたのですが、何かが違うと思ってしまいました。

その時の話の詳細は、以下の記事をご覧ください。

今は「人生における幸せの価値観」ですら「分散化」しているという時代です

その三、「陽キャ」への憧れが薄れた日

この後もしばらくは「陽キャ」をがんばっていたのですが。

そんな時、真の「陽キャ」であるAさんと出会いました。

Aさんは天然の真の「陽キャ」で、美しい容貌と社交性やコミュニケーション能力など誰もが羨むあらゆる美点を持っていました。

しかしそれ故に、天然の真の「陽キャ」特有の欠点も持ち合わせていました。

私はその欠点を見て、それまで憧れていた上になりたかった「陽キャ」への魅力をあまり感じなくなりました。

そして同時に、それまでのようにがんばろうとする意欲もなくなったわけです。

Aさんがどんな人だったのかの詳細については、以下の記事をご覧ください。

前編)真の「陽キャ」な彼女に出会ってわかった、諺の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

後編)真の「陽キャ」な彼女に出会ってわかった、諺の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

というわけで、もう「陽キャ」になろうとするのはやめようと決意しました。

そして「陰キャ」で生きて行く決意を固め、その方法を探り出してバリバリ「陰キャ」のおばはんとなって、現在に至っております。

私は引き寄せの法則を信じていませんが、結果は同じようなものかも?

今回の話は「あんま関係ない」どころではなく「全然関係ない」話です。

タイトルにも書きましたが、私は「引き寄せの法則」を信じてはいません。

しかし何か成したいことができたとするならば、まずはそれを思考するところから始めなければなりません。

というわけで、その結果として起こることはほぼ同じものであるような気がします。

「こんなに成功するなんて、思ってもみませんでした」

と、成功してから仰る方がおられますけど、そんなことはないと思います。

本当に成功すると思っていなかった場合は、成功した後の環境の変化に戸惑ってついていけないということが起るはずですから。

文豪・吉川英治の最初の妻やすは、そのような成功した後の変化についていけなかった人でした。

やすは吉川英治が売れるまでは非常によく尽くしていたできた奥様でしたが、売れた後のあまりにも変わってしまった環境の違いについていくことができず、その後の彼の創作活動に協力することができませんでした。

また、吉川英治が浮気をしたこともあって、結局は離婚してしまいます。

率直に申し上げて、実はやすは吉川英治が売れなくても良かったと考えていたのではないかと私は思いました。

吉川英治に尽くして経済的にも支えて感謝されているという、その状態そのものが実は結構幸せだったのではないでしょうか?

(ここで「幸せって何だろう?」という疑問が出てきますけれども。

作家として成功して「お金持ち」になることは、普通は「幸せ」なことのはずですよね。

必ずしもそれが「=」にならないとすれば、どちらかを選ばなければならないのでしょうか?

この辺りの話にご興味がある方は、本サイトの以下の記事

お金持ちになるか、幸せな人になるか。お金持ちになる方の考えとは?

どちらを選ぶか。お金持ちな人と幸せな人はあんまり一致していない???

をご覧ください。よろしくお願い致しますm(_ _)m)

夫が作家として大成功したのは良いですが、その大作家の妻に求められる資質というものは以前とは変わってしまいますよね。

実は尽くして支えている状態が辛くて、もしも売れたらこんな生活が待っていて、だからもうちょっと辛抱しよう……とか、そういうことを考えて居たら、その時に売れた後のこともいろいろ考えていると思うのです。

ただしこの場合は、支えている状態が辛くて耐えられずその時点で離婚、ということもあり得ますけども。

というわけで、最初の話に戻ります。

ある人が「引き寄せの法則」と呼んでいるほぼ同じような意味で、ある人は「思考は現実化する」と呼んでいる人もいます。

結局は表現が違うだけなんですよね。

私は「引き寄せの法則」というふんわりした表現があんまり好きではないという、ただそれだけの話だったりします。

逆に「引き寄せの法則」という柔らかい表現を好む人は、私のような理屈っぽい文章は好みではないような気がします。

そういうのは好みの問題で、同じようなことを言っているのだから、もう良いではないですかと。

いずれにせよ、ちゃんと考えないと成功しないし、もしも成功してもそれについていけず維持していくことができなくなりますよと。

ここにこうやって書きながら、自分に言い聞かせている今日この頃です。

まずは、思考するところからはじめましょうか。

最初はちょっとずつで良いので、一歩一歩。着実に。

焦っても何の解決にもならないし、しんどい思いをするだけですから。

ちょっとずつでも、一歩一歩。前向きに。

今はもう間違いとなった常識もあるのに、その常識と違っていると叩かれます

今回はこのブログの内容とは直接関係のない話ですが、皆さんには是非知っていてもらいたい大切なことで、ここだけでも読んで欲しいと思うそんな内容です。

今の世の中はテクノロジーが進み過ぎて時代の流れが加速しており、はっきり言って世の中がその速さに全然適応できていません。

そのため、ちょっと前まで常識レベルで正しかったことが、今は必ずしも正しくないということが起きています。

しかしその正しくない場合に多くの人はそれに気付くことができず、正しい方を「間違っている」と認識して叩いてしまうことが多々あります。

その一、陰キャだから「悪」

陰陽二元論で「陰=悪」ではありません。なのに何故日本では「悪」なのか?!でも触れましたが、今は「陰キャ」でもやり方次第でかなり大きな生産活動に携わることができる時代です。

しかし多くの人は「陽キャ」に憧れ「陰キャ」を忌み嫌っているという、以前の時代の認識を引き摺っています。

そして残念ながら、その「陰キャ」の中に素晴らしい才能を持っている人がいるのに、自ら「自分は陰キャだからダメだ」と思い込んでその力を発揮できない場合が非常に多いのです。

私はその状態を何とかしたいと思ってこのブログを書いています。

「陰キャ」は悪ではないし、むしろこれまで「陰キャ」を避けるような時代の流れであったから逆に、潜在的にはその力が求められているのです。

「陰キャ」がその才能を発揮することは本人のみならず、周りの人にも歓迎すべきことなのです。

才能を発揮するのは世のため人のためであり、それで生産活動と投資や消費する金額も増えて最終的には税収も増えて、皆が幸せになりますから。

その二、考え方が個性的だから「悪」

例えば芸人さんから絵本作家さんになったキングコング西野さんや、ゾゾタウンで有名な株式会社スタートトゥデイの前澤社長のように、考え方が個性的で常識的ではないという理由で叩かれる場合があります。

どちらもお仕事で成功されているので、嫉妬も含まれてはいると思いますけど。

また、その常識的ではない考えでいろいろ行動して成功しているので、それもまた叩かれる要因かもしれません。

ただし私が思うのは、むしろ今の時代にはこういう考え方の方が合っていると思うのです。

もっと言えば、前澤社長がゾゾタウンで成功したのは、その考え方が「日用品」ではなく「嗜好品」を扱うのに非常に合致していたからであり、実は嗜好品を扱う場合にはこちらの方がむしろ常識的な考えであると私は考えています。

嗜好品とは、生活には必ずしも必要のないものであり、生活を楽しむものですよね?

生活をより楽しくするために自分の稼いだお金で嗜好品を買う⇒その体験を嗜好品を売るというお仕事に生かす。

前澤社長がやっているのはこういうことなんです。

普通の日本人にとっては「稼いだお金は貯金するのが良いこと」が常識ですけど、そういう人は嗜好品を扱うのには向いていないと思いませんか。

それ故に多くの日本人は前澤社長が高価な美術品を購入し、従業員に還元しないことを叩いていますけど。

前澤社長がゾゾタウンで成功できたのはバスキアの絵画やエルメスの内装品などの、美に対する類まれなる関心や執着心があったからです。

もしも前澤社長がそれらの美術工芸品に対する一切の興味を失って「従業員に還元しよう」と思った時、あの会社の成長が止まって衰退が始まります。

そうなったら前澤社長の会社の従業員や株主、あるいはユーザーや取引先の会社様など、収入や利益が減ってしまってついでに税収も減ることになります。

その三、労働時間が短いのは「悪」

日本人はとにかく労働はこの上なく良いことだと考えています。

それ故にちょっと前までは残業してがんばることは良いことだとされてきました。

これがエスカレートして過労死または過労による自殺等が増えてきたために、今は定時で仕事を終わらせることが良いとされるようになりましたけど。

しかし実際の話、特に地方の会社や中小企業などでサービス残業の悪習が未だに残っているというところもあります。

(もちろんそうしないと生き残れない会社もありますけど、そういう会社をムリヤリ残すのってどうなの? と個人的には思うのですが)

ちなみに前出の前澤社長ですが、以前は週三日ぐらいしか出社していませんでした。

今はゾゾスーツとPBで多忙のため、週五日働いているそうです(って、それが普通ですけど)。

この社長を始め従業員の方も全体的に労働時間は短めとのことですが、その割にこの会社の生産性は非常に高いのです。

というのもですね、会社の指標の一つに「ROE(自己資本利益率)」というものがあって、これは企業の株主資本に対する当期純利益の割合を表わしますけど。

この数字が高いと「株主が出したお金を有効活用できており高い利益が返すことができている」という話になるのですが、この会社は常に全上場企業のトップテン以内に入っているのです。

労働時間が長ければ良いってわけではなく、利益をどれだけ上げたかというのが大事なんですよね。

かつてのテクノロジーが発達していない昔であれば、労働時間が長ければその分利益を上げることができました。

日本の常識は、その頃の思想に未だに引き摺られているままなのです。

ぶっちゃけてまとめると

他にもあるとは思うのですが、キリがないのでこの辺でまとめに入ります。

って、はっきり言って良いですか?

皆、ホンマにちゃんと考えてます?

皆の言う、常識とやらに沿った生き方をするとどうなるのか。

画像は年収ラボ様より頂きました。
統計元は「平成26年 国税庁 民間給与実態統計調査結果」とのことです。

実はこれより前のバブル経済真っ盛りの頃から確認すると、もっと下がっているのではないかと個人的には思うのですが。

と、そう書くと「それは国全体がそうなっているのだから仕方がない」という話になりますよね。

確かにそれはそうなのですが、ならば国全体がそういう方向にあるのにお金持ちな人っていますよね。

何故でしょうか?

昔、国全体がお金持ちだった頃に持った資産が今も残っている?

まぁ、そういう人もいるけど、そうでない人もいらっしゃいますよね。

そういう「例外的なお金持ち」になるのには、どうしたら良いのか?

「例外」とは、いわば「普通ではない」ことです。

普通ではない状態、つまり人並みを外れてお金持ちになるには

  • 一般的に常識と言われていることとは違う考えを持って行動を起こす

これが答えとなるのではないでしょうか?

また、もしおられましたら……既に叩かれている人へ。

あなたが叩かれているのは、あなたがあまりにも画期的な考えをしたとか実行したとか、そういうことかもしれません。

それを理解してくれる人が身近な人ではいないかもしれません。

でも、自分の胸に手を当てて、自らに恥じることは何一つやっていないと自信を持って言えるのなら、そのまま突き進んでいってください。

(一応周りの人の話を聞いた上で、それでも……という話です。聞く耳を全く持たないというのはまずいかも)

がんばってくださいね。応援しています。

後編)真の「陽キャ」な彼女に出会ってわかった、諺の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

前編)真の「陽キャ」な彼女に出会ってわかった、諺の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」』の続きです。

Aさんの欠点が気になるようになった日

美人で頭の良い「陽キャ」なAさんでしたが、ちょっとお金にルーズなところもありました。

小銭がないからと言って私に借りることがありましたが、その後に私から請求しないと返してもらえません。

少額だから忘れているようで悪気はありませんし、言えばきちんと返してくれますけど。

でも、何回も重なるとちょっとなー。

「これはしんどいなー」とはっきり思ったのは、Aさんと一緒にアメリカへ旅行に行った時でした。

Aさんはアメリカに着いてすぐに風邪を引いて体調を崩しました。

元々計算が苦手なAさんでしたが、頭が痛くて計算できないと言うので、私が先に会計を済ませてAさんの分を後からもらうことにしたのです。

そしたらですね、この時もいちいち私から請求しないと返してくれないんですよ。毎回毎回。

普段はそこまで気にしていなかったのですが、ここではっきりと嫌な気持ちになりました。

Aさんの美点を裏目に感じた日

そしてこの後、元々沖縄が好きで移住したいと言っていたAさんに誘われました。

Aさんは言います。

「一緒に沖縄で新しいお友達をいっぱい作ろう!」

私は正直「えっ?」と思いました。

私にとっては今の友達の方が大事で、今の友達と縁を切ってまで新しい友達は欲しくないと思いました。

さすがは真の「陽キャ」です。どこに行ってもすぐに友達ができるのです。

だから逆に言えば、今現在の友達にはそれほど思い入れはないということなんでしょうね。

その時にAさんは

「でも、ななちゃんは特別な友達だからね。だから一緒に行こうよ!」

と言って誘ってくれました。

その時の私は半分だけ嬉しいと思いましたが、もう半分では「ふーんそうやって人をコントロールするんだーAさんすごいねー」という、どこか冷めた気持ちになっていました。

結局私はこの話を断ります。

そしたらそのすぐ後に阪神大震災が起こりました。

Aさんと過ごした最後の日

Aさんは神戸に住んでいました。

Aさんもご家族の皆さんも無事でしたが、お家はもう一回余震が来たら崩れるだろうという被害を受けていたそうです。

私はAさんに「しばらく私の家に泊めて欲しい」と言われました。

ご家族はお家が崩れてもここに居たいと仰ったらしいのですが、Aさんは「どうしても怖いから、その家に住み続けたくない。家を出たい」と思ったそうです。

私はAさんをしばらくの間、当時住んでいたワンルームの部屋に泊めることにしました。

ここで一つ、書き忘れていたことがあります。

Aさんは当時貯金が500万円ぐらいあったそうです。

前職で貯めたお金ですが、突然体を壊して辞めざるを得なくなったことで「人生には何があるかわからないから、この貯金はそのままにしておこう」と強く決意したのだとか。

いざという時、もしもの時のために。

そして私の方はと言いますと、大変にお恥ずかしい話ですが、その当時は30万円にも届かないくらいの貯蓄額しかありませんでした。

さらにこれまた大変にお恥ずかしい話ですが、別の「陽キャ」の友達に誘われて買った補正下着のローンを抱えていました。

その金額と相殺すると、実際の貯蓄額は5万円以下となってしまうという状態でした。

何でこの話を持ち出したかと言いますとですね。

この時のAさんは、一切自分の財布を出そうとしなかったのです。

梅田で待ち合わせをしてから、私の自宅へ向かうまでの交通費。

その日の晩御飯は自宅近くの飲食店でしたが、その時の支払い。

まぁ、そんなに高いお店ではありませんでしたけども。

(いや、初めから払ってあげるつもりでしたよ? 被災者ですし。でも、一瞬たりとも自分の財布を出そうとしないのは、ちょっと……てなりませんか?)

この時はまだ、地震で避難する人だから仕方ないと思っていました。

でも「ちょっとしんどいなぁー。今は仕方がないけど、いずれ友達やめよう」と、こっそり思っていました。

晩御飯が終わって自宅に帰る道中の話です。

その時が来ました。突然に。

時は来た!(何の?)

ここで一つ、書き忘れではなく意図的に書いていなかったことを書きます。

真の「陽キャ」なAさんを象徴する、最もすごいところです。

  • 喫煙者なのにライターを持ったことがない

まじですよ? すごくないですか?

煙草を吸う時には、周りの人に声をかけて火を借りるんですよ。毎回毎回。

コミュニケーション能力が非常に高いので、それができるんですよ。毎回毎回。

しかし私には、煙草を吸う習慣がありませんでした。

そこで私にライターを借りようとするのですが、当然ながら持っていません。

なのに、聞くんですよ。毎回毎回。

Aさんとの付き合いは一年半~二年弱ぐらいだったと思うのですが、その間一切自分でライターを持とうとはしませんでした。

そして私が持っていないから断ると、以下のように答えていました。

「あっ、そうそう。そやったね。私が仲良くなってつるむ友達で煙草吸わないのはななちゃんが初めてだから、うっかりしてたわ」

で、元の話に戻りまして、晩御飯が終わって自宅に帰る途中の話です。

いつものように火を借りようとしたAさんに断りました。

そしたらAさんは、落胆しため息をついて言いました。

「ああ、そやったね。しゃーない、我慢するわ」

この時です。もう今回限りで友達やめようと思ったのは。

Aさんはこんな言い方をする人ではありませんでしたが、地震があっていろいろ大変な思いをしたからつい、油断したのでしょうね。

そして私は思ったのです。これがAさんの本音だったのかと。

「はぁ?! 何それ?! ライター持ってへん私が悪いんかぁ?!

あのね、ライターぐらい持っときなさいよ。煙草吸うのはAさんでしょ?!」

そうしたら、それまで仕方がないと思っていたお金のことが急に腹立たしくなってきました。

「もしもの時って、まさに今ちゃうんかい!」

とか思って、自分の財布すら出そうとしないところが許せなくなりました。

ですが、今まで一緒に居て楽しかったしお世話にもなったし、また、頭の良い人だから一緒に居て本当に勉強にもなったし、さらに言えば地震の被害者だし気の毒なことに間違いはないので、とにかく今回は最後に、できるだけのことはしてあげようと思いました。

で、この後ですが、その夜にAさんが「やっぱりお母さんが心配だから帰る」と言い出しました。

次の日にAさんは帰っていきました。

この後に私は引っ越しをしましたが、新しい住所はAさんには伝えませんでした。

そして、ようやく結論です

というわけで、ここでやっとタイトルの諺「過ぎたるは猶及ばざるが如し」です。

「陽キャ」も行き過ぎると問題が出てきます。

友達ができるのは「当たり前」で、誰かに何かしてもらうのは「当たり前」。

すると、もしも何もしてもらえなかったら「不幸」になりませんか?

「当たり前」だと思っていたことを、してもらえなかったわけですから。

自分でするのが「当たり前」だと思っているからこそ、誰かに何かしてもらった時に「ありがたい」「嬉しい」という気持ちになって、その状態になれた時に「幸せ」だと感じますよね。

となると、誰もがなりたいと思う「陽キャ」な人って、実はそんなに幸せな人生ではないような気がしませんか?

見た目が良くて頭も良くてコミュ能力も高くて……かつてはそんな「陽キャ」な人に、私はなりたかったです。

でも、今はなりたいとは思いません。

……いや、なれませんけどね。能力ないですから。

タイトルとサブタイトルとURLに込めた思いについて

今回はタイトルとサブタイトルとURLに込めた思いについての話です。
よろしくお願い致します。

タイトル『陰キャ&非正規でも資産2000万円になる方法』について

これは本サイトの『5千円からはじめる節約&投資で1億円へ』に近い名前を考えたものです。

この中で、私がもし独身かつ非正規で働いていたなら選択していた方法について書いたことがありました。

その記事へのリンクと新たな記事を追加しまとめておくことで、何か皆さんのお役に立つことがあればと思ったわけです。

また、はじめましてのごあいさつでも書きましたが「もしも私に子供がいたとして、その子が独身で陰キャ&非正規だった場合のことを考えた」というのもあります。

サブタイトル「勉強すれば、誰でも一打逆転。そして維持(←ココ重要)」について

今までの人生を振り返って考えてみるとですね、意外と大きなチャンスって何回もあったような気がします。

私と同じ年齢で「そんなことはない」と仰る方は、そのチャンスに気付いていなかっただけではないかと。

私自身、後になってから「ああ、あの時は気付かなかったけど、あれは大きなチャンスだった。失敗した」と思ったことがあります。

……それも、何回も(´;ω;`)

チャンスを掴んでものにして、それをずっと維持し続けるということは結構大変なことだと思います。

  1. チャンスが到来したその時に気付く
  2. そのチャンスを確実に掴んで離さない
  3. チャンスを掴んだままずっと維持し続ける

この3つの段階で、最も難しいのは3番目だと私は思います。

後になって「あの時はチャンスだったのに」と思ったら、次回に気を付けたら良いだけです。

「もうあんなチャンスはないだろう」と悔しい思いをしても、意外ともっと大きなチャンスに恵まれたりするものです。

チャンスを掴み損ねた時も同様で、その経験を次回に生かせば良いだけの話ですから、どうということはありません。

しかし3番目の場合は、1番と2番に比べると難しいですよ?

ここで、宝くじを買って多額のお金が当たった場合を例に挙げます。

まず1番と2番ですが、これは「宝くじを買ってきちんと保管しておき、当選番号がわかったら期限内に確認し、当選していれば期限内に交換する」ということができればOKです。

そして多額のお金と交換した後ですが、この3番目が最も大きな問題となるです。

金遣いが荒くなったり身内や知人に騙されたり、経験のない事業をいきなり始めて失敗したなどして破産し、さらにその後そのことで精神を病んだり一家離散するなどして、さらなる不幸に陥る人もいます。

そういう状態になったら、むしろ宝くじが当たる前の方が幸せだったのではないかという話になるわけですよ。

大金持ちで有名な斎藤一人さんはかつて、以下のようなことを仰っていました。

「お金を入れる器の大きさは人それぞれ。

器が小さいままお金持ちになってしまったら、お金をたくさん入れておくことができないから、いずれは失くしてしまう。

だから、先にお金を入れる器を大きくしておく必要がある」

これは要するに、お金を管理する能力のことを指しているのです。

それ故にサブタイトルの後ろに「そして維持(←ココ重要)」と記載しました。

URL「https://incharacter.work/」について

「陰キャ」とは、今はあんまり良い意味で使われている言葉ではありません。

しかし英語で「in character」と言えば、意味は「その人らしく」「その人にぴったり合った」などの概ね良いものとなります。

はじめましてのごあいさつの末尾でも書きましたが、「陰キャ」を活かした生き方をするのか、または「陰キャ」から「陽キャ」に転向するのか。

いずれの生き方を選ぶにせよ、その人が良いと思う生き方で幸せになって欲しいという思いを、このURLにも込めています。

人類は「(広義の)デジタルトランスフォーメーション」により、良い人だけが報われる方向に進んで行きます。

(「(広義の)デジタルトランスフォーメーション」についてご興味ある方はこちらの記事もどうぞ。よろしくお願い致します)

それもその速さは、テクノロジーの進化と共にどんどん加速していくのです。

つまりこの記事を読まれているあなたの幸せが私の幸せとなる日が、いつかは必ず来るということです。

私はそのことを信じているからこそ、この記事を読まれているあなたの幸せを本気で強く願っているのです。

何らかの参考になれば幸いです。どうぞよろしくお願い致します。

はじめましてのごあいさつ

はじめまして。本木ななと申します。

5千円からはじめる節約&投資で1億円へ』というブログを夫のろくとやっています。

私どもには子供はいないのですが、もしも子供がいたとしたらどうしても伝えたいことを書いておこうと思いました。

と、そう思って上記リンク先のブログを始めたのですが、夫のろくと意見が合わないことが多々ありまして。

それともう一つ、お金のことをひたすら考えて記事にしているうちに、今のお金も人々の「信用」の上に成り立っている「概念」であることがわかりました。

「ならば、「お金」とは「概念」を勉強する学問である「哲学」ともかかわりがあるのではないか?」

とか思って調べ始めますと、例えば世界一の高級品の企業グループであるLVMHの本部のあるフランスでは、「哲学」は高校の必修科目であるということなどがわかりました。

その後さらにいろいろ調べて行くうちに、「哲学」の中でも東洋哲学の「陰陽二元論」に興味を持つようになりました。

またここら辺で、巷で流行りの「陰キャ」「陽キャ」は厳密に言えば間違っている上に、今はむしろ「陰キャ」が足りておらず潜在的に求められている時代であることに気付きました。

という経緯が今までにありまして、このブログを開設するに至ります。

あーここまで長かった。

「陰キャ」であることで悩んで、その力を発揮できないのは本当にもったいないことです。


「もったいないおばけ」

その本人がもったいないというだけでは済みません。

その「陰キャ」な彼氏彼女がその力を発揮することで、何かの恩恵を被ったり潤ったりする人はたくさんいます。

より良い商品やサービスが生み出されたり雇用が創出されたり、あるいはその取引先の会社が潤ったり。

そして結局は、いろんな人の税金が徴収されることで、国も潤うことになるのです。

それが全部、最初の最初の段階で躓いて潰れてしまっているのです。

こんなもったいないことがあるでしょうか?

ただしそうは言っても、当の本人が「陰キャは嫌だ」と悩んでいる場合もあるでしょう。

「どうしても陽キャになりたい」と、そう考えている人もたくさんいると思います。

そういう人のために「陽キャになる方法」も合わせて書いておこうと思っています。

あのですね、意外と簡単でしたよ?「陽キャ」になるのは。

むしろ難しいのは、その状態を維持する方です。

根が「陰キャ」であればあるほど、一度「陽キャ」に転向してそれをずっと維持するのは、かなりの努力が必要です。

この辺は「お金持ちになって、それを維持するのが難しい」という話に似ているかもしれません。

元々「陰キャ」な私が「陽キャ」を維持するのは、はっきり言って「お金持ちの状態を維持するのよりもしんどい」ことでした。

なので、ここで私がおすすめするのは「陰キャ」の性質を上手いこと活かして、仕事や人生にも十分に満足して、幸せになって頂く方法です。

今、この文章を読まれている方へ。

どちらの方法を選択しても、あなたが幸せになることを、私は強く望んでおります。

どうぞよろしくお願い致します。